『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』麻田雅文著

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日ソ戦争

『日ソ戦争』

著者
麻田雅文 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784121027986
発売日
2024/04/22
価格
1,078円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』麻田雅文著

[レビュアー] 小泉悠(安全保障研究者・東京大准教授)

新史料基に 酷薄の実態

 私の祖父はシベリア抑留を経験している。千島列島に派遣される途上で輸送船が撃沈され、漂流中のところをソ連軍の捕虜になった。中学校の担任は戦争末期に当時の日本領南樺太から疎開した経験の持ち主であり、大学院生時代の家庭教師先には関東軍の兵士としてソ連軍の満州侵攻から逃げ延びたというお爺(じい)さんがいた。第2次世界大戦の総仕上げであった日ソ戦争は、その痕跡をこうも数多く残している。

 だが、その割に、日ソ戦争について語られることは少ない。学術的な研究は決して少なくないものの、日本社会で語られる「戦争」の圧倒的多数は対米・対中戦争に関するものだ。

 その理由の一つに、史料の乏しさが挙げられよう。第2次世界大戦後、ソ連は「鉄のカーテン」の向こう側の存在となり、日ソ戦争の実態を多角的に検証することが困難な時代が長かった。日本側の史料さえ、ソ連軍に鹵(ろ)獲(かく)されたために閲覧できないものが未(いま)だに多い。

 本書は、こうした制約下でも入手可能となった新史料に基づく意欲作である。ロシア国防省中央公文書館が新たに公開した史料や、米国収蔵史料などを用いて、短いが激しく巨大であった戦争の全貌(ぜんぼう)を改めて描き出そうと試みている。朝鮮半島の占領をめぐる米ソの「競争」という通説に修正を迫るくだりなどは白眉といえよう。今後の学術的議論の基礎となることが大いに期待される。

 また、本書を通読して実感するのは、政治指導者や軍人たちの酷薄さである。戦争とは合理的な利益追求行為であるとプロイセン軍人のクラウゼヴィッツは述べたが、その「利益」には個々人の生命や幸福は含まれていない。国家という巨大な何者かの名の下、兵士たちの命は虫ケラのように扱われ、民間人は飢えや伝染病に倒れ、女性は性暴力に晒(さら)される。それから80年近くが経(た)とうとする今、記憶の風化に抗(あらが)おうとする本書の意義は大変に大きい。(中公新書、1078円)

読売新聞
2024年9月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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