『なめらかな人』百瀬文著

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なめらかな人

『なめらかな人』

著者
百瀬 文 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784065355329
発売日
2024/05/30
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『なめらかな人』百瀬文著

[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)

柔らかく鋭い身体感覚

 著者はあるとき思い立って陰毛を剃(そ)ってみた。そうしたら、30代女性のその部分だけ幼女のようになった。鏡の前に「ぬるっとしたキメラのような自分の身体」を発見し、「これが見たかったんだ」と気づく。巻頭エッセイの一節だ。著者の身体感覚は途(と)轍(てつ)もなく柔らかく、鋭い。そう感じるエピソードに、本書は満ちている。

 たとえば著者は子どもの頃、骸骨が苦手だったという。その理由を読んで、これ以上ないほど得心した。「人は死んだら、燃やされて骨になる」。だから、「この肌の下に、自分の最期の姿が、生まれたときからずっと埋め込まれていること」に気づいたからだ。骸骨に死を感じてうっすら恐怖を覚えるのは皆同じだが、そこから生きた肉体につねに潜在する死を思う者はそういない。その後、初めて火葬場で人骨を拾う経験をした著者は、待ち時間の食事で口に入れた水分たっぷりの高野豆腐を、その対比において思い出し、箸に重みを感じる。アーティストの著者は、自分の作品と出会う人との関係も、身体的なものと捉えている。作品を眼(まな)差(ざ)す人の「身体をすっかり書き換えてやりたい」という欲望を秘めているのだ。

 柔らかく鋭いのは身体感覚ばかりではない。人との関係もそうだ。著者は2人のパートナーと暮らしている。それぞれ家で制作をし、一緒にご飯を食べたりする。「玲児くん」(斎藤玲児)とは、ぬいぐるみと接するときの感覚が似ている。「晋吾」(金川晋吾)とはいま、「ママと娘」のような関係がしっくりくる。金川さんがママだ。「性別を超えた愛情のバリエーション」があって、恋人や友人などの既存の名前を当てはめる必要はないと考える彼らの生き方からは、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』を思い出す。私には眩(まぶ)しい「友愛」だ。

 文章そのものが身体感覚に訴えかけてきて、どのページにも立ち止まって味わいたい表現があり、読み終えたくないと思いながら読んだ。(講談社、1650円)

読売新聞
2024年8月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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