『緋あざみ舞う』
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[本の森 歴史・時代]志川節子『緋あざみ舞う』
[レビュアー] 田口幹人(書店人)
寡作ながらも、しみじみとした味わいのある文章で江戸の風情を伝える上質の市井ものを発表している志川節子の新作『緋あざみ舞う』(文藝春秋)は、これまでの市井もののテイストを残しながらも、氏には珍しくエンタメ要素を色濃く打ち出した作品となっていた。
向島の小梅瓦町にある「かりがね」は、お路とお律の姉妹が営む船宿である。いずれ劣らぬ美人姉妹ともてはやされる二人には、緋薊を名乗る盗賊という裏の顔があった。長女のお路は、男嫌いだが、手先が器用で掏摸の技量を備え、盗み入る先のこれといった人物を弓の的である黒丸になぞらえ籠絡してしまう。妹のお律には小太刀のわきまえがある。二人は、元錺職人だった盗賊の頭目・綱十郎に乗り合う形で一味とともに強盗を働いていた。綱十郎は、盗られて困るところから掻っ払うことはしない。盗られても困らぬ先を選び、何人も殺傷することなく盗みを働き、仕事を遂げた場に名入りの木札を堂々と残していた。
しかし世間に名が広がり動きづらくなった綱十郎は、奉行所の目を逸らすために姉妹にも「緋薊参上」と記された木札を残すよう依頼する。その木札に施したひと手間が瓦版屋の目に留まり、女盗賊への世間の耳目を集めることとなる。
船宿という堅気の仕事と盗人というお天道さまに顔向けできない稼業の二刀流をこなすお路とお律には、実は音曲の師匠宅へ内弟子に入っている目の見えぬお夕という妹がいる。お夕の視力が失われた責めを負い、世の裏街道に身を落とした姉たちは、お夕が一人で生きていくための術を身に付けることを陰で願いながら、離れて暮らしていた。
そしてもう一つ、お路とお律が裏稼業に足を踏み入れたのには、理由があった。浜岡城下で廻船問屋・黒川屋を営んでいた父・久右衛門の死である。姉妹の父親は十年前に非業の死を遂げていた。お路とお律は、父の死の真相を突き止めようとしていたのだ。
そんな中、お夕がなくした鈴を拾った男をきっかけに物語が一気に動き出す。男は父の死の謎を解く手掛かりとなるのか。まさかの展開は読んで確かめていただきたい。
しかし、本書の見どころは謎解きだけではない。なんと言っても父の死の真相を追う張りつめた空気感の中で、随所にちりばめられた三者三様の色恋の機微の描き方が秀逸だった。色恋をめぐる会話から見えてくるお路とお律の距離感にも注目していただきたい。
まさに著者の新境地と言える作品だった。読み始めたら止まらなくなるので注意してお読みください。