江戸時代、実際の海難事故からの生還

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バタン島漂流記

『バタン島漂流記』

著者
西條奈加 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334103569
発売日
2024/06/26
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

江戸時代、実際の海難事故からの生還

[レビュアー] 西條奈加(作家)

 「板子一枚下は地獄」―よく言われる言葉だが、それが心底身に染みる、江戸時代に実際にあった海難事故を、圧倒的な迫力で描いたのが本作である。

 船頭はじめ十五人の水夫(かこ)と積荷を乗せた五百石の新造船・颯天丸。主人公・和久郎は、船大工からの鞍替(くらが)えながら、幼馴染の門平に励まされ助けられ、新たな人生を歩んでいた。しかしある航海の折、突然の大西風(おおにしかぜ)―船乗りには呪詛(じゆそ)より恐ろしい言葉―で難破してしまう。大海原(おおうなばら)での漂流―船頭の的確な指示のもと、一丸となった水夫たちの海との闘い―船の構造から海の状態把握、ひいては極限下の人間関係まで、敵は多岐にわたり、艱難辛苦(かんなんしんく)とはまさにこの事。手に汗握る展開に息を呑む。密閉された空間、極限状態―その中での人間物語が見事で、十五人一人ひとりの描写が秀逸。故に感情移入しやすく、それぞれの苦しみ悲しみが胸に迫り、涙を禁じ得ない。私も船頭の志郎兵衛に会ってみたいと本気で思った。

 漂流は試練の始まりに過ぎず、島を見つけ、やっと助かったと思うと……外国(とつくに)の原住民とのファースト・コンタクトの失敗からか、思わぬ過酷な状況に置かれる事になったのだ。

 次から次に起こる試練。だが、絶対日本に帰るんだ、けして諦めるな、という皆の強い思い―言葉さえ通じたら、展開はまた違っていたかもしれない。

 運を幸いに転じさせ、大願を成就させるには、人間の努力が不可欠―生ぬるい今を生きている身には、耳が痛いが、過酷な運命を己の力で生き抜いた彼らが実際にいた―それだけでも生きる勇気をもらえる。

「生きるためだ。(中略)石にかじりついてでも生き抜け!」生命の讃歌、ここにあり。

光文社 小説宝石
2024年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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