『がん征服』
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がん治療法の開発者たちの人間像を描き、“大いなる闇”に切り込んだ傑作ルポ
[レビュアー] 笠井信輔(フリーアナウンサー)
フジテレビで「情報プレゼンターとくダネ!」などを担当したアナウンサーの笠井信輔さんは、フリー転身直後の2019年、血液のがん「悪性リンパ腫」のステージ4と診断されました。長期間の抗がん剤治療をへて、現在は「完全寛解」の状態にあります。
その笠井さんが最新のがん治療法に「我々の想像をはるかに超える」と衝撃を受けると同時に、承認をめぐる「闇」に鋭く切り込んだ著者の姿勢に驚嘆した一冊『がん征服』に寄せた書評を紹介します。
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一気に読んでしまった!
面白い。面白過ぎた。
大変な力作である。
私は悪性リンパ腫(血液がん)ステージ4。遺伝子異常あり。予後の悪いアグレッシブなタイプ。「おそらく脳に転移するので通常の治療法では治らない」と診断され、大量の抗がん剤治療のみで、長期入院。その結果、完全寛解にしていただけたがんサバイバーだ。
しかし、我が伯父は、同じ悪性リンパ腫であっという間に亡くなった。当時、有効な薬が開発されていなかったからだ。
あれから30年、何千人という患者の治験、臨床試験という名の「実験」により、有効な薬が開発され、私は命を返していただけた。
「がん征服」。
本書のタイトルから受ける印象は「がん治療薬・治療法の開発の努力と成果をたたえる最新ルポ」。
否!
確かに、研究者ががん征服に向け、それこそ人生を掛けた開発の困難な道のりを緻密な取材によって明らかにする衝撃のルポである。
日本のがん治療開発はこんなことになっていたのか! という驚きの連続だった。
著者の下山進氏が注目したのはすべてのがんの中で最も治療が難しいといわれる、平均余命がわずか1年3か月という脳のがん「膠芽腫(こうがしゅ)」だ。
治療法が確立されていなかったこのがんに、全く新しい3つの医療技術で挑む研究者たちの姿は、我々の想像をはるかに超えている。
1つは原子炉を用いたがん治療。手術室が原子炉建屋のなかに作られていたのだ。その中で最新がん治療の「実験」が行われていたことを知っている人がどれだけいるだろうか?
2つ目はあの楽天の三木谷浩史氏が、自分の親のがん治療のために新会社まで作って開発を手掛けてきた「光免疫療法」。その開発の道のりの詳細は、あまりに魅力的なエピソードの連続であり、身を乗り出すように読み進めてしまった。
しかし、著者はそうした医学界の想像を超えた努力をたたえる一方で、3つ目のがん新薬開発パートでは、その「闇」に切り込んで行くのだ。
東京大学医科学研究所の権威が開発した「ウイルス療法」。
いや、これは「闇」なのか?
がん患者のために早く薬を開発したいと言う「熱意のオーバーラン」なのではないのか?
浮かび上がってくるのは、日本の新薬承認があまりにも厳しく、海外に比べて新しい治療薬の開発・普及が遅れているという「ドラッグ・ラグ」問題。
自分もがんサバイバーであるので、なんとかならないのか? と感じていた。
しかし、政府や官僚は、「再生医療」を日本の基幹産業にしようという意図から、私たちによくわからない形で“密かに”新薬承認の「規制緩和」を行っていた。
ウイルス療法は「世界最高のがん医療」とメディアでも評価が高い。その「承認の裏側」をここまで書いていいのだろうか?
「有効性が証明されていない」と治験で判断されたにもかかわらず、この新薬が「承認」され、今、保険医療となって開発者のいる病院だけで治療に使われているという驚き。
そして、何よりも、その告発をこれだけの1冊の本を書いて行うというその迫力。読みながら思う。
このルポ、大丈夫か!?
下山氏の“覚悟”にハラハラさせられる。
学会から出入り禁止となっても、書くことをあきらめない下山氏。
厳しい医学界のヒエラルキーの中で、そのTOPにいる権威ある医師を実名で書き記し、かつ鋭く疑問を発しているのだ。
これは公開質問状といってもいいかもしれない。
本書の導入部は少々難しいと感じるかもしれない。その配慮から、25章からなる各章の始まりには「サマリー」、章ごとのあらすじが書かれていて大変助けになった。配慮の行き届いた構成だ。
さらに言うならば、下山氏の前著『アルツハイマー征服』の時もそうだったが、下山氏は医学の進歩を描きながら、人を描いている。だから面白い。
この手の医療開発ルポは、新書であれ、雑誌であれ、新聞であれ、施設の写真、豊富な最新医療機器や画像データの写真で興味を引くもの。確かに原子炉建屋内の手術室の写真はあるが、260pに及ぶ本書には、そうした写真はほとんどなく、人物の写真ばかりだ。
すべては人間の行っていることであり、新薬や新たな治療法の開発者たちはどんな性格で、どんな思い、情熱、葛藤、希望、ストレスを感じながら研究を進めていったのか。
すべては人間ドキュメント。
そのプロセスに、真実が隠されている。それぞれの思惑やキャラクターを掘り下げることによって見えてくるものがある。
そこが下山ルポの真髄なのだ。
これは、偉業をたたえるだけでなく、その偉業の影に隠れて見えにくかった“大いなる闇”を白日の下にさらす「裏プロジェクトX」なのだ。
がん患者、サバイバー、その家族、そして特に医療関係者、さらにはノンフィクションファン必読の書である。