『縫い目のほつれた世界 小氷期から現代の気候変動にいたる文明の歴史』フィリップ・ブローム著

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縫い目のほつれた世界

『縫い目のほつれた世界』

著者
フィリップ・ブローム [著]/佐藤 正樹 [訳]
出版社
法政大学出版局
ジャンル
歴史・地理/外国歴史
ISBN
9784588352379
発売日
2024/04/26
価格
3,960円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『縫い目のほつれた世界 小氷期から現代の気候変動にいたる文明の歴史』フィリップ・ブローム著

[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大教授)

気候変動が促す怒濤の時代

 氷上でスケートし、馬(うま)橇(そり)に乗る者、談話に興じる紳士淑女に物乞いが近寄る。さまざまな階層の老若男女が氷上の日常を楽しんでいるようだが、陰(いん)鬱(うつ)な空を飛ぶ鳥、空疎な教会や獣の死骸が不穏な時代を予感させる。画家アーフェルカンプは17世紀オランダで冬景色を専らにして人気を博した。一見、愉快な冬景色から始まる本書は、今日への警句がちりばめられた恐るべき時代の物語をスピード感をもって語り出す。

 著者が小氷期と捉える1570年頃から1700年にかけ、ヨーロッパでは寒冷化のみならず気候変動が凶作や飢(き)饉(きん)をもたらし、地震や疫病の流行などが拍車をかけ、魔女狩りが社会不安に煽(あお)りをかけた。この危機は、三十年戦争や銀の流入の減少、重商主義による苛烈な植民地化、奴隷制などによって拍車がかかるものの、思想・自然科学の分野では、宇宙と自然への知識の拡大によって聖書への懐疑や無神論を促し、18世紀啓(けい)蒙(もう)主義を招来するのである。

 本書は、気候変動が人間と自然界に及ぼした作用、ついで農業、経済、社会制度、軍事、文化への影響、そして社会制度の大変革の効果、最後に現代に通じる問題性を次々に提示しながら、怒(ど)濤(とう)の時代を巧みな語り口で活写する。登場人物は役者揃(ぞろ)いだ。思想家モンテーニュ、スウェーデン女王に招かれ寒冷の地で没したデカルト、神学と自然科学の融合を目指したドイツ人キルヒャー、近世合理主義者で汎(はん)神(しん)論(ろん)者のユダヤ人スピノーザ、はたまた卓抜した文章家であった啓蒙主義者ヴォルテールら枚挙に暇(いとま)がない。彼らが時代の申し子であり、世界の展開を促したことが跡づけられる。

 心憎いのは、最後を飾るスコットランド画家によるスケート狂牧師の姿だ。ただ一人、解放された気分を満喫しながらすいすいと氷上を滑る牧師の周りに群衆はいない。冒頭の絵に要約された混迷の時代は、まさにオランダからイギリスへと海洋覇権が遷(うつ)り、覇者は帝国主義へと邁(まい)進(しん)するのである。著者に精通した訳者の解説も示唆に富んでいる。佐藤正樹訳。(法政大学出版局、3960円)

読売新聞
2024年8月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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