『若い男/もうひとりの娘』アニー・エルノー著

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若い男/もうひとりの娘

『若い男/もうひとりの娘』

著者
アニー・エルノー [著]/堀 茂樹 [訳]
出版社
早川書房
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784152103314
発売日
2024/05/22
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『若い男/もうひとりの娘』アニー・エルノー著

[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)

恋愛、亡き姉 作家の回想

 自分の過去を題材に執筆し続けてきたアニー・エルノーの二作品。どちらも一人称の語りだが、「若い男」は30歳近く年下の大学生との恋愛の回想であり、「もうひとりの娘」は自分が生まれる前に死んだ姉への手紙である。このように形式も回想される時期も異なるのだが、どちらからも、熟年の作家である語り手にとって回想することと生きることは重なり合っていて、回想することは作家としての営みを見つめ直す試みでもあるということが伝わってくる。

 「若い男」で語られるのは、ノルマンディー地方の町ルーアンに暮らす貧乏学生との恋愛だが、非合法妊娠中絶を描いた『事件』で知られるように、作家自身もかつてルーアン大学の学生だった。語り手が若い男に見(み)出(いだ)すのは、30年前の自分にとってなじみ深かった、けれども自分がそこから這(は)い上がってきた、品のない庶民の身振りの数々だ。スーパーの試食用チーズを片っ端から口に入れる、パンの切れ端で口を拭う、スラングを使う、等々。彼との時間は語り手にとって反復であり、彼の存在によって自分の人生は無限の層となる。この反復から甘美さが失われると、恋は終わる。年配の者にとって年齢差というものがどのように生きられるのか、その感覚が驚くべき生々しさで描かれる。

 「もうひとりの娘」で読者は、エルノーが『場所』や『ある女』で描いてきた彼女の両親と別の仕方で出会い直す。語り手はノルマンディー地方の町リルボンヌで生まれイヴトーで育ったが、彼女には生まれる前にジフテリアで死んだ姉がいた。語り手は10歳の頃に母の話を盗み聞きしてそのことを知ったが、両親は姉の存在を隠し続けたまま逝った。5歳の時に破傷風で死にかけた自分は姉の代わりに生きているのではないか、自分が生きて書くために姉は死んだのではないか、時折浮上するそのような思いに立ち向かうために作家は幼い姉の写真を直視し、姉に、そして自分に問いかける。堀茂樹訳。(早川書房、2640円)

読売新聞
2024年8月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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