若い頃の村上春樹がもし「多重人格サスペンス」を書いたら…こんな感じ? 大森望「私が選んだ本ベスト5」夏休みお薦めガイド
レビュー
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大森望 私が選んだBEST5
[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)
今年の海外文学の話題と言えば、ガルシア=マルケス『百年の孤独』の文庫化だが、同じ新潮文庫からそれと同時に刊行されたのが、“新潮文庫史上最厚1088ページ”を謳うマット・ラフの『魂に秩序を』。
主人公の“ぼく”ことアンドルーは、アンディ・ゲージの新たな人格として今から2年前に26歳で誕生した。継父の虐待で元の人格(原魂)が殺されたあと、彼の頭の中は百を超える魂が暗い部屋にひしめく混乱状態だったが、元人格の生き残りである“父”は何年もかけて人格を整理し、森や湖をつくり、家を建て、魂たちをそこに住まわせた。その家の管理人として最後に湖から呼び出されたのが“ぼく”だったのである。
……というわけで本書はたいへんユニークな多重人格もの。青春小説でありミステリであり恋愛小説であり(もうひとりの多重人格者の女性ペニーとの恋が描かれる)キャラクター小説でありドタバタコメディでもある。若い頃の村上春樹がもし多重人格サスペンスを書いたら……という感じで、長さを感じさせない牽引力がある。とりあえず、冒頭5ページのプロローグを読んでみてほしい。
逆にたいへん短い小説を集めたのがケヴィン・ブロックマイヤー『いろいろな幽霊』。法律事務所の戸口でたえず立ち去り続ける幽霊の話で始まり、木の幽霊、ミツバチの幽霊(みたいなもの)、死者の香りの幽霊、突然死んでしまった一分間などなど、種々雑多な幽霊を描く2ページの掌編100話から成る。最終話の題名は「かつて書かれた中でもっとも恐ろしい幽霊譚」。19世紀半ばにヒマラヤ山脈のマイナーな方言で書かれたその物語のそれはそれは恐ろしい翻訳の歴史が語られる。全体は11のテーマに分かれ、ジャンルもさまざまだが、なんとなくつながって見えるのが面白い。
先の東京都知事選で15万票以上を獲得し、がぜん注目された安野貴博だが、本業はAIエンジニア兼小説家。『松岡まどか、起業します』は、作家・安野貴博の第2長編。大企業から内定取り消しを食らった松岡まどかは起業を決意。使命は1年以内に時価総額10億円の会社にすること。まどかはAIを活用した転職就職関連サービスをウリに資金調達を図るが……。TVドラマのようにスリリングでわかりやすい展開と、本職ならではのリアルなディテールが特徴。ランサムウェア攻撃で会社が絶体絶命のピンチに陥るとか、某事件を予見したようなサスペンス要素も読みどころだ。
八潮久道『生命活動として極めて正常』は、人気ブロガーのデビュー作品集。全7編どれも面白いが、老人ホームの“姫”の座を目指してたゆまぬ努力を続ける78歳の男を描く「老ホの姫」と、人身事故に遭遇する確率がなぜか異様に高い運転士の話「命はダイヤより重い」が双璧か。今年のベスト短編集有力候補。
柳下毅一郎『皆殺し映画通信 ストライクス・バック』は、版元をフィルムアート社に移して出た、シリーズ第11弾。“現代日本のエクスプロイテーション・フィルムとは何か?”をテーマにした邦画新作レビューの2023年版にあたる。全32本のうち僕が観ているのは「Winny」1本だけだが、どれも観てきたような気分になれるので問題ない。村上賢司監督との赤裸々すぎる巻末対談も爆笑です。