「芝居を終えた後に飲みに行って喧嘩するんです」加藤シゲアキが語った演劇論とは?

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

万両役者の扇

『万両役者の扇』

著者
蝉谷 めぐ実 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103556510
発売日
2024/05/16
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

加藤シゲアキ×蝉谷めぐ実・対談「役者の嘘に、贔屓は踊る」

[文] 新潮社

セリフは言うんじゃなくて、聞け

蝉谷 加藤さんが役作りをするときはどんなふうに取り組まれるんですか。

加藤 まずは台本を読んで、その役柄の人間性を考えます。その人の歩んできた人生を考えて、サブテキストをイメージする。映像作品の場合は、特にリアルさを意識します。逆に舞台作品の場合は、リアリティだけだとお芝居が流れてしまうから、見せ方なんかも工夫します。

蝉谷 形を作って絵になるように、という感じでしょうか。

加藤 そもそも声の出し方から、舞台と現実では大きく異なります。舞台上では、どんな会話でも腹式呼吸を使ってお腹から声を出す。たとえマイクがあろうとそれは変わりません。呼吸の仕方ひとつで、観客に伝わるものが増すのだから不思議なものですよね。あとは、共通認識を意識したりもします。

蝉谷 共通認識?

加藤 例えば僕は以前、舞台でフランス人の役を演じたことがあります。そのときは、観客が持っているであろう「フランス人ってこうだろうな」というイメージを大事にしました。本当にフランス人がやる所作という意味ではなくて、日本人からみてフランス人っぽく見える所作を心がけたり、逆に日本人っぽく見える所作は封じたり。姿勢から入ることも多いですね。こういう役柄は、こういう姿勢だろうというイメージに倣うことは重要だと思います。言い換えれば、デフォルメとも言えるかも。

蝉谷 大衆イメージを踏まえて役作りをするんですね。とても難しそう……。

加藤 もちろん、リアルさが大事な局面もありますよ。例えば関西出身のキャラクターだったら、その関西弁にはリアリティがあった方が物語に入り込みやすくなります。要は嘘
のつき方と、つく場所の問題であって、そのバランスには絶対の答えはないのだろうと思います。

蝉谷 そういう考え方は、やはり役者さんによって違うものなんですか。

加藤 かなりさまざまですね。どんな経験をしてきたか、誰に影響を受けたかで大きく変わるでしょうし、立っている舞台の種類による違いもあると思います。2・5次元の世界には2・5次元のルールがあり、歌舞伎には歌舞伎のルールがある。それぞれの手法や、ファンの求めるものによって、多様なアプローチが日々生み出されるのが、お芝居の面白いところです。だからみんな、芝居を終えた後に飲みに行って喧嘩するんです(笑)。

蝉谷 例えば、一緒に舞台に立つ人が全く違う役者論を持っていたら、どうするんですか。どちらのやり方に合わせるか、話し合ったりするのでしょうか。

加藤 そのために稽古をするんです。芝居の稽古では、1ヶ月から長ければ数ヶ月もかけて、役者同士が台本の読み方をぶつけ合います。一人の脚本家が書いているからキャラクター同士がぶつかることはあまりないけれど、それを演じる人間の数だけ、セリフの読み方や感情の込め方が存在するし、その応酬で生み出されるコミュニケーションの結果も変化するんです。例えば、「ごめん」という一つのセリフがあったとしても、その直前で怒られたか、泣かれたかによって、言い回しや声の表情は大きく変わりますよね。だから何度も一緒に脚本を読んで、演じて、一番観客を魅了する形を求めて、それらを擦り合わせていきます。

蝉谷 単純にどちらが正しいか、という答え合わせではないんですね。たしかに江戸時代の役者も自分の演劇論を芸談に残すことに熱心でした。四代目市川團十郎も修行講というものを自宅で開いて役者を集め、役者のための勉強会をしていたそうです。

加藤 演劇には、いろんな正しさがあるんですよね。だから芝居の世界で「下手」と言われる役者は、セリフやイントネーションといった技術面のこと以上に、「受けられない」人だと言われます。

蝉谷 受けられない、とはどういう意味でしょう。

加藤 相手の芝居を受け取れない、ということです。芝居はいわばキャッチボールのようなもの。相手のボールを受け取ることができなければ、ボールを投げ返すことはできないし、あるいは自分ばかりが好き勝手にボールを投げていたら、相手は転がったボールを拾ってばかりになってしまいます。僕も「セリフは言うんじゃない、聞け」って耳にタコができるくらい言われました。一見簡単そうに聞こえるけれど、経験がないひとや若いひとはなかなかこれができないんですよ。

蝉谷 お聞きしていると、扇五郎はまさにキャッチボールができない役者だったんじゃないかと思えてきました……。

加藤 確かに、扇五郎と芝居をするのはいやですね(笑)。ナルシストで、全然周りのセリフを聞かなさそう。ただ、主演の人はそれでもいいんです。周りがなんとか受け取りますから。だから主役をやる人って、だんだん主役だけを演じるようになっていくんですよ。

蝉谷 でも、それでは周りの人が大変じゃないですか。

加藤 そう、周りが苦労してばかりのこともある。でも結局、面白ければなんでもいいんです。その主役の演技に観客が魅せられているのなら、周りは合わせていかざるを得ません。きっと扇五郎も、そうやって観客を味方につけたんじゃないかな。

蝉谷 確かにそうかもしれません。お話をお聞きしていると、扇五郎はキャッチボールができなかったのか、それとも投げられたボールをあえて受け取らないようにしていたのか……。加藤さんのおかげで扇五郎の新たな一面に気づけたような気がします。

新潮社 小説新潮
2024年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク