卒業式や甲子園などで歌われる「校歌」 なぜ日本に根づいたのか? 日本人が育んだ学校文化の謎に迫った一冊

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校歌斉唱!

『校歌斉唱!』

著者
渡辺 裕 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
芸術・生活/芸術総記
ISBN
9784106039133
発売日
2024/07/25
価格
1,925円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

学校祝歌が歌われる現場、歌う人の思いを解き明かす

[レビュアー] 細川周平(音楽学者)


みんなと歌った校歌(写真はイメージ)

 聴覚文化論・音楽社会史を専門分野とする渡辺裕さんによる選書『校歌斉唱!―日本人が育んだ学校文化の謎―』(新潮社)が刊行された。

 校歌こそは、時代を映す音楽の機微を最も体現しているジャンルである――このような視座から、全国の校歌やその歌われ方を分析した本作の読みどころとは?

 音楽学者の細川周平さんによる書評を紹介する。

細川周平・評「学校祝歌が歌われる現場、歌う人の思いを解き明かす」

 うまいタイトルだ。校歌斉唱! 校庭の全校生徒を前に、そのものずばりのアナウンスが聞こえてくるかのようだ。歌は学校ごとに違っても、この斉唱の儀式は全国一律で、入学式や運動会の一部を成している。校歌は自分たちで斉唱するのが標準で、独唱や他校の歌の鑑賞は特別な場面に限られる。甲子園はよその校歌をまとめて聴く機会の代表で、歌詞は教訓的、旋律は学校唱歌の定型、どれも似ているのを皆知っている。在学中はただ歌わされるだけだったのが、卒業後は青春譜として旧友と歌って笑い泣く。同窓会のお決まりだ。幸か不幸か、ふだん忘れているくせに気持ちを高める効果がある。

 渡辺裕らしいテーマで、一部で待望されていた。十四年前、『歌う国民』(中公新書)で、みんなで歌う/歌わされる集団の代表歌、「コミュニティ・ソング」の概念を立て、副題に並べた三点セット――唱歌、校歌、うたごえ――から、洋楽受容の忘れられた一面に光をあてたときには、仕事の順序として、斉唱文化の基本を作った第一ポイント、唱歌が中心だった。本書はその続きで第二ポイント、研究上ほとんどさら地の校歌に絞って、教室の唱歌斉唱に始まる明治の音楽史が、今日も続くことを論じている。学生が集って歌う学生歌は世界中にあっても、これほど強制力を持った公式的学校歌は日本固有なのだそうだ。

 第1章は『歌う国民』の復習で、コミュニティ・ソングの概念で校歌を見直したうえで、本書の副題「学校文化」に進む。これは教育学の正統なテーマ――教室、教材、授業、師弟関係――の外で、学校コミュニティがつくりだす文化を指す(四一ページ)。校歌もそのひとつで、上からの統制と下からの反応の両観点を本書全体で行き来する。生徒がただ歌わされるばかりでなく、自らを、自分たちを、声を合わせて、楽譜や制定者の意図や歌唱技術の向こうに飛び出す場面がある。校歌を歌い破るのだ。芸術歌曲扱いされてきた例外的校歌を対照例に、音楽的質よりも斉唱の近代日本史をたどる。

 第2章は明治から大正にかけて、既存の軍歌・唱歌の替え歌を校歌と定めたり、「旧校歌」と呼ばれている戦前の中学校の例をまとめている。当初、学校の代表歌の存在理由が現在ほど厳密ではなかった。旧制中学・高校の替え歌式の応援歌は、共通の原曲に別の歌詞をつけ、学校ごとの誇りと全体として同胞エリート意識を鼓舞した。下からの校歌のような面がある。今日、校歌と応援歌を保存する有力な組織として、卒業生有志による校友会に踏み込んでいるのは、渡辺の考える学校文化研究の好例と言える。

 校歌の制作場面については、須田珠生『校歌の誕生』(人文書院)が明治以来、市町村と校長がしかるべき作者に委嘱し、文部省が認可してきた点を初めて明らかにした。校歌は地域・年齢・性別が非常に限定的で、毎年入れ替わる歌い手集団のために学校ごとに定められ、愛校心育成が期待された。官庁公文書を読んだ須田に対して、渡辺は二十校近い学校新聞を古書店で入手するなどして読み、生徒の思いを論につづっている。

 第3章は戦前の皇国思想の校歌をめぐって、昭和二十年代に各地で起こった廃止改良論争をまとめている。根気のいる作業で、国をあげての民主化に校歌も乗っていたことを論証する。

 第4章は戦後の改訂版や新設校の例、ポピュラー系の作者による実作例を紹介しつつ、戦前との断絶よりも連続をタイトルの「生き延びる校歌」に圧縮している。歌詞と曲想は今風になっても、明治の定型が生き延びている。第一、校歌なしの学校はありえない。明治のままだ。最近の市町村合併や学校の統廃合の影響も紹介されている。そのため新曲の陰に廃曲もある。

 第5章は高校野球を具体例に、対外戦でミニ国歌のように歌われる場面に着目している。バンカラは戦前の学生文化の時代遅れを意識した演技で、ブラバン編曲とぴたり合って、良きあの頃の応援部を再現している。

 第6章は反対に、埼玉のある高校で歌いやすいテンポを許容し、学校祭の定番として、卒業生や地元民によって愛唱されていることを報告している。地域の歌、能動的な歌い手という明るい話題で一冊を閉じているのは、前著に通じる渡辺好みだ。

 渡辺本のだいご味は多数の、既に選び抜かれた具体例をうまく抽象的な文化史枠に配して、目立たぬ学校祝歌の歌われる現場、歌う人の行為思惑を解き明かしている点にある。実例の展示会に終わらず、理論に走らず。読者は覚えている校歌をネット検索すると、発見があるだろう。制作の年代、定型性、歌詞内容のタイプ分類や作詞作曲者ごとの個性没個性はこれから調べが進む。歌う国民シリーズの第三作として、次は「国歌斉唱!」を期待したい。

新潮社 波
2024年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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