「呪いですね」文学の恐ろしさを感じた『百年の孤独』が突きつける現実の世界 池澤夏樹と星野智幸が語る【第6回】

対談・鼎談

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百年の孤独

『百年の孤独』

著者
ガブリエル・ガルシア=マルケス [著]/鼓 直 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784102052129
発売日
2024/06/26
価格
1,375円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【池澤夏樹×星野智幸・対談】ガルシア=マルケス化する世界で

[文] 新潮社

刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。
(全6回の第6回、構成・長瀬海)


池澤夏樹さん(撮影:新潮社写真部)

 ***

池澤 よく世界がカフカ的になったという言い方がされるでしょう。それと同じように、世界がガルシア=マルケス化しているという言い方もできると思います。だんだんとマジックの方がリアルになってくるというか。『族長の秋』の大統領とトランプ、プーチン、あるいはネタニヤフがそのまま重なってしまう世の中にすっかりなってしまいましたから。

星野 ほんとそうですよね。実は僕、今日その話を池澤さんとしたいと思ってきました。今回、『百年の孤独』を読み直して、ここに書かれていることって現在のことなんじゃないかと思ったんですよ。この作品にあらわれている孤独。寂しさじゃなくて、ただただ孤独だという感覚。それが今や世界の隅々に至るまで行き渡ってしまっている。都市部からそうじゃないところまで。暴動もあちこちで起きています。
 作中でブエンディア大佐は32回も反乱を起こしたと言われます。最初のうちは彼の反乱にも理があったはずです。でも、32回もやっていると次第に理が消えていく。何のためにやっているのかわからなくなってしまう。虚無感に駆られて、最後は完全な世捨て人として世界に背を向けるじゃないですか。読みながらそのことにリアリティを感じたのは、今回が初めてでした。ブエンディア大佐にこんなに肩入れして読むことになろうとは、少し前じゃ考えられなかった。今まで『百年の孤独』は登場人物で読む小説じゃないと思っていたので、初めて作中人物を自己投影気味にとらえて読むという体験をしたんですよ。だから池澤さんがおっしゃった「世界はガルシア=マルケス化している」ということは痛切にわかります。

池澤 孤独とは何か。lonelinessじゃなくて、solitudeなんですよ。寂しいんじゃなくて孤絶なんです。それぞれがマコンドのように孤立している。他の地域や人々と繋がりがない。愛の不毛というといかにもだけど、そういった人間の孤独が書かれているんだと思います。つまり、いよいよ僕たちの世界もマコンド化してきたということですね。


星野智幸さん(撮影:新潮社写真部)

星野 どうしてあんな意味のない侵攻を独裁者たちはするのか。そのことを考えるためにたくさんの人に『百年の孤独』や『族長の秋』を読んでもらいたいと思います。読んだからといって何かを解明できるわけではありません。でも、何かがわかった感触は得られると思う。ウルスラが「時は少しも流れず、ただ堂々めぐりをしているだけ」と言ったことの意味もきっとわかるはずです。

池澤 世界の未来を預言しようとか、そういうつもりでガルシア=マルケスが書いたわけではない。彼のなかにあったものを書いてみたらあとから世界がついてきたと、そういうことでしょう。だから彼のなかにあったものは世界の種とか人間の種とか、それくらい根源的なものだったのかもしれない。そして、その根源的な種は、神話でも宗教でもなく、物語に育つたぐいのものだったわけですね。

星野 なんだかあまりにも僕たちの目の前にある現実を感じすぎてしまい、逆に呪いをかけられてしまったような気持ちになりましたね。文学はおそろしいと思いました。

池澤 ラテンの呪いですね(笑)。

星野 今、ベルナルド・アチャガの『オババコアック』を読み直しているところなんですが、あの作品にも『百年の孤独』から世界の後続の作家たちが受けたであろう影響を感じました。アチャガはバスク語で書くスペインのバスク地方の作家で、『オババコアック』はそんな彼が一九八八年に発表した小説です。バスク語での近代小説を確立させた作品でした。バスクの世界をその土地の言語で書こうとしたときに、『百年の孤独』はきっと一つの手掛かりになったんじゃないでしょうか。確実に二つの小説は繋がっているし、そうやって考えると、世界には同じように『百年の孤独』を手掛かりにして書かれた小説がたくさんあるんじゃないかなと思うんです。例えば、中上健次だって決して無縁だったとは言えないだろうし。

池澤 中上の場合、直接の影響はフォークナーから受けたんだろうけど、でも横目でガルシア=マルケスをちらほら見ていたのは確かでしょうね。トポスを作って民話的な物語を紡ぐ、という意味では共通している。今の日本の作家で言えば、小野正嗣さんだってきっとそうでしょうね。

星野 アメリカにはスティーヴ・エリクソンがいますね。きっと他にも翻訳されていない中にも、たくさんいるはずです。ただ、マジックリアリズムがどこで使われるかということと、近代化がその地域でどれくらい進んでいるかはある程度、関係していそうな気がします。近代化の極北となったような地域でガルシア=マルケスの真似をしてもほとんど意味をなさないでしょうし。

池澤 マジックリアリズムを考えるときには「辺境」という言葉が1つ鍵になるような気もしますね。

星野 辺境であるという認識が必要でしょうね。だとすると、辺境が消えつつある世界でマジックリアリズム的な表現は今後どうなるのでしょうか。今は便利な世の中なのでGoogleマップでどこでも調べられてしまいます。実は今回読み直しながら、舞台となったアラカタカやその周辺を覗いてみたんですが、全部克明に見えてしまうから驚きました。ホセ・アルカディオが海を求めてさまよったであろう地域から、湿地帯や山脈、海岸まで。あの土地の地理が簡単に確認できて、マルケスがいかに実際の土地を忠実に描いたのかがわかりました。

池澤 Google化された世界でマジックリアリズムは可能なのか。

星野 そうですね。ただ一方で、世界のあちこちに、強権的独裁的な力が猛威をふるいつつあるなかで見えなくさせられている場所がたくさん生まれているのも事実です。ウイグル自治区やガザなんかはまさにそうですよね。ある種の力で社会から締め出された地域が世界中で広がっている現在、言葉で自分はここにいることを示す動きは絶対に起きると思います。それが文学というかたちをとるのか、小説ではない言葉で表現されるのかはわかりませんが、マジックリアリズムはそのときにヒントになるかもしれません。

池澤 さっき言ったようにマジックリアリズムはトポスが出発点にあるから、自分のいる場所、関わりのある場所をトポスだと認めるところから書き始める作家が今後、そういった地域から出てくるかもしれませんね。その方が弾圧と革命に伴う混乱を書くのに適していると気づいた人が筆をとるようになるでしょう。

星野 今は書くこと自体が抑圧されていたり、そこで生きている人たちが外に出られなかったりする状況が続いていますが、いつか言葉が外の世界に届く日が来るだろうと思います。今の世界の人たちがガルシア=マルケスの小説をどんな気持ちで読むのか気になります。日本でも『百年の孤独』がこうして文庫になるので、読んでいなかった人はもちろん、再読の人も手に取ってくれるといいですね。

池澤 夢中になって読み耽って、自分もこれで書いてみようと思い立つんだけど、やっぱりダメだと感じてしまう。そういう経験をする人が増える分だけ、日本の文芸は豊かになりますよ。

全6回の一覧はこちら

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池澤夏樹
作家。1945年北海道生まれ。埼玉大学理工学部物理学科中退。東京、ギリシャ、沖縄、フランス、札幌を経て、2024年5月現在安曇野在住。主著『スティル・ライフ』『母なる自然のおっぱい』『マシアス・ギリの失脚』『楽しい終末』『静かな大地』『花を運ぶ妹』『砂浜に坐り込んだ船』『ワカタケル』など。「池澤夏樹個人編集 世界文学全集」「同 日本文学全集」を編纂。

星野智幸
作家。1965年ロサンゼルス生まれ。早大卒業後、新聞社勤務を経てメキシコに留学。1997年『最後の吐息』で文藝賞受賞。主著『目覚めよと人魚は歌う』『ファンタジスタ』『俺俺』『夜は終わらない』『焔』など。

新潮社 新潮
2024年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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