18ヶ月間机の前から動かなかったなんて逸話も…『百年の孤独』の作者ガルシア=マルケスの異常さとは? 池澤夏樹と星野智幸が語る【第3回】

対談・鼎談

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百年の孤独

『百年の孤独』

著者
ガブリエル・ガルシア=マルケス [著]/鼓 直 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784102052129
発売日
2024/06/26
価格
1,375円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【池澤夏樹×星野智幸・対談】ガルシア=マルケス化する世界で

[文] 新潮社


ガブリエル・ガルシア=マルケス(Photo (C) LM.PALOMARES)

刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。
(全6回の第3回、構成・長瀬海)

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星野 池澤さんは『世界文学を読みほどく』のなかで『百年の孤独』を読みながら、この作品の基本にあるのは「神話」ではなく「民話」だと書かれていましたね。今はガルシア=マルケス研究もだいぶ進みました。僕が90年代前半にメキシコで友達になった久野量一さんなんかもマルケスの研究者になっています。例えば久野さんの「480ページのバジェナートは何を歌っているか?」(『ラテンアメリカ文学を旅する58章』(明石書店)所収)を読むと、ガルシア=マルケスの語りの起源にはバジェナートという彼の育った地方の音楽があることがわかります。19世紀から20世紀にかけて、コロンビアのカリブ地域では、フグラールという吟遊詩人のような音楽家がアコーディオンを弾いて歌いながら、あちこちの村や町を転々として、出来事を伝えていったらしいです。この作品にも自作の歌を歌いながら歩き回っているフランシスコ・エル・オンブレという200歳近い老人が出てきますが、まさにそのような存在ですね。ガルシア=マルケスのノーベル文学賞の授賞式にも、ラファエル・エスカロナという『百年の孤独』に登場するバジェナートの作曲家も同行して、お祝いの音楽を作って、みんなでどんちゃん騒ぎをしたようです。

池澤 ラファエル・エスカロナですね、伝記にもよく出てくる。

星野 エピソードがどんどん繋げられていって延々と終わらない語りのリズムは、どうやらバジェナートという吟遊詩の音楽にもあったらしい。なかなか面白いですよね。

池澤 アメリカにもマーダー・バラードという歌の伝統がありました。1つの犯罪事件を題材に、ある若者が恋をして、袖にされて、怒りで頭がおかしくなって相手の女を殺害してしまう。そういう経緯が歌になって広まる。典型は「トム・ドゥーリー」とか。そういった語りとしての歌はどこにでもあったんだろうけど、他の地では割と早く廃れてしまったんでしょう。コロンビアにはそれが残っていた。民話なんだけど、子どもが楽しむために小さくまとめられたものではなくて、語り継がれながら広がっていくような歌が。

星野 語られることでバージョンがどんどん変化したんでしょうね。歌なんだけど、語りでもあるところにガルシア=マルケスは惹かれたんだと思います。マルケスの自伝を読んでいても、自分は語るのが好きだと言っていますね。おしゃべりの快感のようなものを好んだのでしょう。それは自伝の語り口からも感じられます。


星野智幸さんと池澤夏樹さん(撮影:新潮社写真部)

池澤 とにかく出てきちゃうんですよ、物語が。あれは妬ましいことですね。僕が普段、創作をするときはまずフレームを作って全体の流れをざっと考えてから、どこへどう持っていって終わらせるかを決める。僕の性格はエンジニアなんですよ。それじゃいけないと思って、崩そう崩そうとするんだけど、そう簡単にはいかない。崩そうという思いときっちり作ろうという意志の間で葛藤しながら書いているのがまぁ普通の小説家なんだけど、ガルシア=マルケスはそうじゃないんだと思う。物語が湧いて湧いて止まらないんでしょう。

星野 きっとそうですね。

池澤 18ヶ月間机の前から動かなかったなんて逸話もあって、それが本当かどうかはともかく、話が次々に出てくるから書くのをやめられなかったんじゃないかな。そのうちにどんどん登場人物が増えていく。そのままじゃ終わらなくなっちゃうから、どこかで収束させなきゃいけない。小説の後半、全体的に衰退していくでしょ。マコンドは衰退するし、ブエンディア家も人が減っていきます。そうやって最終的にはあの豚のしっぽの赤ん坊までたどり着く。読んでいると途中からそろそろまとめにかかろうとするのがわかりますね。ただ、それまでは湧き出るままに書き続けた。自分で抑制を効かせない。小説ってそういうのじゃないでしょっていう声が聞こえても知らんぷり。とにかく書くんだ、前へ前へ進むんだという勢いの感じがこの小説全体から伝わってきます。

星野 そうやって制限をかけずに書いたのはガルシア=マルケスのなかでも『百年の孤独』が最初なんでしょうね。短編では試みたことがあったかもしれないけど、ある程度の長さのある作品はこれが初めてだったんじゃないかなと思います。だからこそ、その衝撃が他の作品以上に激しく伝わってくる。語りの過剰なパワーと言いますか。

池澤 まさに「過剰」という一言に尽きますね。短編は規定の枚数に収めなきゃいけないから、ある程度考えてから書き始めるんですよ。いい加減なところで投げ出しても短編なら成立しますし。だけど、この作品はそうやって書かれてはいない。『族長の秋』も『百年の孤独』と同じやり方で書かれた作品ですが、あれはもっと先まで行っちゃった感じがあります。登場人物は多くはないんですが、話そのものは派手でけばけばしくて、もつれている。力技で書かれているというか。

星野 『族長の秋』の方がモノローグに近いですね。同じようにエピソードがどんどん出てきますが、あの作品の場合はそれが枯渇したとしてもそこから逃れることはできないような、そんな苦しさがありました。

池澤 そう。人を増やして話を繋げるということをやめて、語り手の大統領のなかだけで大きな宮殿を構築しようとした。

星野 『百年の孤独』と双璧をなす作品ですね、『族長の秋』は。

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第4回では、『百年の孤独』がマジックリアリズムという手法で描かれた根源に言及した対談をお届けする。全6回の一覧はこちら

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池澤夏樹
作家。1945年北海道生まれ。埼玉大学理工学部物理学科中退。東京、ギリシャ、沖縄、フランス、札幌を経て、2024年5月現在安曇野在住。主著『スティル・ライフ』『母なる自然のおっぱい』『マシアス・ギリの失脚』『楽しい終末』『静かな大地』『花を運ぶ妹』『砂浜に坐り込んだ船』『ワカタケル』など。「池澤夏樹個人編集 世界文学全集」「同 日本文学全集」を編纂。

星野智幸
作家。1965年ロサンゼルス生まれ。早大卒業後、新聞社勤務を経てメキシコに留学。1997年『最後の吐息』で文藝賞受賞。主著『目覚めよと人魚は歌う』『ファンタジスタ』『俺俺』『夜は終わらない』『焔』など。

新潮社 新潮
2024年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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