狼を連れて銀座を散歩し、自宅の庭でハイエナを飼う 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男の生涯

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愛犬王 平岩米吉 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男

『愛犬王 平岩米吉 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男』

著者
片野 ゆか [著]
出版社
山と溪谷社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784635049894
発売日
2024/03/19
価格
1,265円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

狼を連れて銀座を散歩し、自宅の庭でハイエナを飼う 「日本を代表する犬奇人」と呼ばれた男の生涯

[レビュアー] 村井理子(翻訳家/エッセイスト)


縞ハイエナのへー坊に手から食べ物を与える米吉(『愛犬王 平岩米吉』より)

 戦前から戦後にかけて、狼をはじめとするイヌ科動物を独学で研究し、雑誌『動物文学』を立ち上げた平岩米吉という人物がいた。

 動物行動学の父といわれるコンラッド・ローレンツより先に、自宅の庭で犬、狼、ジャッカル、狐、ハイエナと暮らして彼らの生態を研究し、フィラリア撲滅のために私財と心血を注いだ。さらに『動物文学』では、「シートン動物記」「バンビ」を初めて日本に紹介している。

 この平岩米吉の生涯を描いたのがノンフィクション作品『愛犬王 平岩米吉』(山と溪谷社)だ。

 一生を犬に捧げ、偉大な功績を残した米吉とはどんな人物だったのか? 本作を高く評価し、自身も愛犬家を自負している村井理子さんが綴った書評を紹介する。

※本稿は2024年3月19日刊行のヤマケイ文庫『愛犬王 平岩米吉』に掲載されたものです

愛犬家を自負する私が…

 日本国内で飼育されている犬の頭数は700万を超えるとされる。世の中に「愛犬家」と呼ばれる人たちがそれだけ存在しているという意味であり、私自身もその一人だ。それも、相当な犬好きと自負している。

 子どもの頃から何頭もの犬と暮らし、大人になってからは3頭のテリア犬を飼い、今現在はラブラドール・レトリバーを飼っている。7歳の雄で、名前はハリー。艶のある黒い被毛がとても美しい犬だ。体格がよく、体重は50キロを超えている。筋肉質で、馬のように力が強い。泳ぐことが何より得意で、豪快に水に飛び込んでいく後ろ姿にいつも惚れ惚れしている。

 朝起きてすぐにハリーを撫で、夜、寝る直前までハリーを撫でている。尊い。

 しかし、犬を飼うということは、決して楽なことではない。運動量が多い犬種を飼えば(例えばラブラドール・レトリバーのような犬を飼ってしまったら)、たとえ雨が降っていようが、風邪を引いていようが、長距離の散歩に連れ出さなければならない。それも、毎日のことだ。

 雪が降る季節に北風に吹かれながら行く散歩は、楽しいというよりは苦行に近い。いや、完全に苦行だ。逆に夏は温度管理に気を遣う。犬は極端に暑さに弱いからだ。

 犬には多くの魅力があるが、一旦飼ってしまえば、その飼育費用は決して安くない。フード代はもちろんのこと、体重で変わる医療費も家計を圧迫する。長毛種を飼えばトリミング代が必要だし、短毛種であっても、抜け毛が多い犬種となると、掃除機の一台や二台、壊れることは覚悟が必要だ。家を長期間空ける時にはペットホテルに預ける費用もかかる。

 生活の多くの場面で制約を受ける。大型犬の住む家に小さな子どもが遊びに来たら、飼い主は神経をすり減らすことになるだろう。運動をさせるために行くドッグランでは、他の犬と仲良く遊んでと祈るような気持ちになるし、それはもう大変なのだ。愚痴ではない。現実だ。

米吉には勝てない

 それではなぜ、私たちは犬を飼うのだろう。そんな苦労をしてまで、なぜ犬を?

 私の場合、その答えはいたってシンプルで、ただただ、好きなのだ。愛しているのだ、犬という存在のすべてを。人生になくてはならない存在で、可愛くて仕方がない。

 犬がいればそれでいい。

 とにかく、素晴らしい生き物だと声を大にして言いたい。なんといっても賢い。人間の言葉を理解して行動することが出来るため、犬はここまで優秀なのかと驚かされることが多い。私の愛犬に関して言えば、性格がとても穏やかで、人間に対して友好的だ。私のことは特に好きらしい。

 人懐っこい丸い目は常にきらきらと輝き、走れば大きな耳が風になびいて愛らしい。

 伸びやかな脚と、力強い尻尾。ビロードのような輝きを持つ被毛。室内でくつろいでいる姿はまるで巨大なぬいぐるみだ。犬という存在の良さを書けば、きりがない。

 特に、わが家のハリーは、どこに出しても恥ずかしくない素晴らしい犬だ。今まで何頭も犬を飼い、それぞれ愛してきたけれど、私にとってハリーは特別な存在なのだ。

 このようにして、愛犬家は少しも恥じることなく、次から次へと自分の犬に対する賛辞を惜しまない。いや、もしかしたら、ここまで重症なのは私だけかもしれない。私だけかもしれないけれど、そんなことは気にもならない。誰かに呆れられても平気だ。

 なぜなら、私はそれだけ自分の犬を愛していて、犬という存在のすべてを大事に思い、それが間違いだとか、ましてや恥ずかしいことだとは考えないからだ。愛犬家とは、堂々と胸を張って、「私は犬が大好きです!」と宣言するような人のことを言うのだと思うし、犬を全力で愛し(時には人間を後回しにしても)、その健康維持に務め、生涯、幸せに暮らすことが出来るよう努力する人のことを言うと信じて疑わない。

 私は、自分をそんな愛犬家だと考えていたし、堂々と宣言していた。しかし、本書を読んで私は自信を失いつつある。なぜなら、平岩米吉には勝てない。彼の犬に対する愛情は、愛犬家という言葉では到底収まりきらないほど深い。

人生を決めた狼との出会い

 平岩米吉は1897年、江戸時代から続く裕福な竹問屋に生まれた。小さな頃から学業は優秀で、家業の業務を完璧にこなすほどであり、神童と呼ばれていた。そんな米吉が幼い頃に出会った物語が、乳母によってくりかえし語り聞かされた、曲亭馬琴による『椿説弓張月』だ。

 登場するのは弓の名手、源為朝。山中を歩いていた為朝が、激しく争う2匹の狼の仔に出会い、命の大切さを説く。狼は互いの血を舐め、為朝に頭を下げる。為朝を慕い、とうとう家までついてきた2頭の狼を、山雄と野風と命名した為朝は、まるで犬を飼うように狼を育てた。狼が登場するのはこの長編活劇ドラマの冒頭部分だけだったが、米吉は、何度も繰り返し読むよう乳母にせがんだという。米吉にとってこの物語が、犬科動物研究への道を進む原点となったのは興味深い。

 生家の広大な庭で、米吉は多くの生き物と触れあう機会を得て育った。当時飼われていた数頭の犬たちは、米吉の動物への興味を深めてくれた存在であり、愛情を注ぐ対象だった。同じく動物を愛する父・甚助によって米吉に与えられた、「生き物を自然のままに受け入れる」という環境が、動物への深い愛情を米吉のなかに育んだことは想像に難くない。

 そして、米吉が興味を抱いたのは、動物だけではなかった。乳母が教えた五目並べに夢中になり、大人でもかなわないほどの腕前となったのだ。米吉の父・甚助もまた、将棋をこよなく愛し、棋士としての将来を有望視されるほどの腕前を持つ人物で、家業を大きく繁盛させるほど優秀な商売人でもあった。数値に強い興味を抱いていたという米吉の才能は、父・甚助から受け継いだものが多かったことが窺える。

 米吉は短歌への造詣も深く、18歳になるまでには新聞の短歌欄の常連入賞者となっていた。同じ時期に熱中していたのが「連珠」という競技で、勝負の世界で生きていく決意をするまでに上達し、情熱を傾けるようになる。面白いと感じたものにはとことん人生を賭ける、米吉らしいエピソードだと言える。

狼屋敷の奇人先生

 大正14年、27歳で結婚。妻となった佐與子は20歳で、結婚後、米吉はよりいっそう連珠に熱中し、29歳で七段に昇段する。昭和2年には長女の由伎子、翌年に長男布士夫が誕生。子どもの誕生に大喜びした米吉は、その育児日記を詳細に記録するようになる。人間という生き物が成長する過程を米吉に見せてくれる子どもたちの存在は、彼を驚かせ、感動させ、子どもの頃から慣れ親しんできた犬という生き物の成長過程を知りたいという、新たな好奇心を米吉にもたらすことになる。

 そこで米吉は、多くの犬と暮らすという目標を達成するために、広い土地を探しはじめる。最終的に辿りついたのは、自由が丘の土地だった。昭和4年、自由が丘に家族で移り住んだ。のちに米吉が命名した「白日荘」と呼ばれたこの屋敷で、シェパードをはじめ、狼、ジャッカル、ハイエナといった犬科動物と暮らし、その研究に生涯を捧げることになる。

 転居の翌年の昭和5年に「犬科生態研究所」を設立し、研究生活が本格的にスタート。昭和9年、雑誌『動物文学』を創刊した米吉は、白日荘で飼育している様々な犬科動物の姿を読者に伝えることに情熱を燃やした。

 本書で魅力的に描かれているのは、米吉が愛した動物たちの白日荘での暮らしぶりである。縞ハイエナのへー坊、シェパードのチム、プッペといった、米吉が愛した動物の生態がいきいきと描かれ、動物好きは大いに心を動かされるだろう。動物たちにつけられた名前も、時代を反映した微笑ましいものだ。

 特に、縞ハイエナのへー坊のエピソードは心に残った。凶暴なイメージのあるハイエナという動物を飼おうと思う平岩家の人々の勇気にも驚かされるが、へー坊が若くして命を落とし、悲しみに暮れる一家の様子を読むと、なんと優しい人々だろうと感動する。平岩家は米吉だけではなく、妻も、そして子どもたちも、動物愛護の精神に溢れていたことがわかる。それだけ愛された縞ハイエナが、昭和の時代に自由が丘に生きていたことに感動する。

 また、奇人先生と呼ばれた米吉のお茶目で大胆な行動も興味深い。狼を連れて銀座を歩く米吉を想像し、なんと大らかな時代であり、肝の据わった人物なのだろうと愉快な気持ちになる。狼や犬にじゃれつかれて着物の両袖を食いちぎられる米吉の姿も、なんだか愛らしい。

フィラリア撲滅のために

 米吉と生きた動物たちの暮らしぶりと同様、詳細に描かれているのは家族の存在だ。

 彼の情熱を支えていた妻の佐與子と長女の由伎子の存在なくして、米吉が研究を続けることは困難だっただろうし、佐與子と由伎子の協力なくして、『動物文学』が長年にわたって発行され続けることはなかっただろう。本書は米吉の動物愛の物語であると同時に、妻と子どもたちの米吉に対する愛の物語でもある。

 シェパードのチムの死因がフィラリア症(犬の心臓や肺動脈に寄生する糸状線虫が引き起こす疾患)だったことをきっかけに、フィラリア研究会を設立、フィラリア撲滅のために尽力したという点も、米吉が「日本を代表する犬奇人」と呼ばれるにふさわしい人物であることを象徴する功績だろう。生涯を終えるその時まで、動物を愛した米吉の情熱に心打たれる。

 現代に生きる犬たちがその寿命を全うし、健康的な生活を送り、人間の家族の一員として暮らすことができるのは、米吉と、米吉とともにフィラリア研究を行った人々の努力の賜物だと言っても過言ではない。フィラリア予防薬を飲ませることで、犬の寿命は飛躍的に伸びた。

 私たち愛犬家は、自分の犬だけではなく、全ての動物の命を大切に思い、愛していかなければならない。それが、平岩米吉に対して私たちが出来る最大の恩返しだ。米吉先生、私たちの犬の命を守って下さって、本当にありがとうございますという感謝の気持ちと共に本書を閉じた。

山と溪谷社
2024年7月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

山と溪谷社

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