<書評>『あるがままに生きる』吉野秀雄・山口瞳 著

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あるがままに生きる

『あるがままに生きる』

著者
吉野 秀雄 [著]/山口 瞳 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784309031842
発売日
2024/05/22
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『あるがままに生きる』吉野秀雄・山口瞳 著

[レビュアー] 寺井龍哉(歌人・文芸評論家)

◆偉大な師を捨て旅立った作家

 歌人の吉野秀雄の生涯は苦難の連続だった。肺結核と肺炎で20代の大半を病床で過ごし、40代初めに長年連れ添った妻・はつを病で失い、4人の子と敗戦を迎えた。

 後に再婚した妻・とみは、20年前に夫の詩人・八木重吉(1898~1927年)と死別していた。秀雄は、生前の交流はなかった重吉の詩に心を寄せ、<重吉の妻なりし今のわが妻よためらはずその墓に手を置け>と詠んだ。複雑な思いを大きく包み込む一首だ。病床で独学を続けた秀雄は、『万葉集』や会津八一の歌に傾倒し、私立学校・鎌倉アカデミアの教師も務めた。そのときの愛(まな)弟子の1人に、後の流行作家・名コラムニストの山口瞳がいる。

 本書は、秀雄の短歌約100首と随筆15編、さらに山口が秀雄との思い出を綴(つづ)る「小説・吉野秀雄先生」を収める。家族と酒を愛し、短歌に生きがいを見いだした秀雄の姿が、立体的に浮かびあがる。

 秀雄の「乗り越しの記」に、泥酔して終電車を乗り過ごし、深夜の見知らぬ駅に降り立つ場面がある。「わたしはともかく改札口を出た。そして駅前広場の真ん中の、貧弱ながら、いわば緑地帯めいた部分に腰をおろした。草生は露にしめり、あたりにはこおろぎが鳴き、仰げば空には星がかがやいていた」。軽快で、みずみずしくて、実にいい。どんなことがあっても決して絶望する必要はないと、教えてくれているかのようだ。

 山口の「小説」の終盤、「私」が恋人との結婚を決め、自分の腕で稼ぐ労働生活に入るために「学問と歌を捨てよう」「師を捨てよう」と決意する場面も強烈だ。どんなに師を深く敬愛していても、弟子は師と完全に同じ生き方はしない。だからどこかで、必ず弟子は師の道を外れる。その瞬間、師は弟子に捨てられる。

 このとき「私」が師を捨てなければ、作家・山口瞳は生まれなかっただろう。偉大な師の薫陶を受け、師を敬愛することと同じくらい、その師を捨てて旅立つことは、重大な意味を持ちうるのである。これは、あらゆる師弟関係に生じうる切ない現象である。

(河出書房新社・2970円)

吉野 1902~1967年。歌人。山口 26~95年。小説家・随筆家。

◆もう一冊

『先生とわたし』四方田犬彦著(新潮文庫)。恩師への憧憬と幻滅、師を超える意味とは。

中日新聞 東京新聞
2024年7月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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