『遠い町できみは』高遠ちとせ著

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遠い町できみは

『遠い町できみは』

著者
高遠 ちとせ [著]
出版社
ポプラ社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784591181300
発売日
2024/03/13
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『遠い町できみは』高遠ちとせ著

[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)

不幸な3人 見守る視線

 憎き花粉に感謝した。通勤時間を利用して本作を電車内で読む私の目から、涙が止まらなかったのだ。訝(いぶか)しく見る周囲の視線が恥ずかしくて仕方ないが、この季節なら、何人かは私が花粉症にやられているのだろうと誤認、同情してくれたかもしれない。

 参った。この本には、とことんまで涙を絞られた。

 不幸にも親の愛に恵まれず、きちんと養育されない子供三人、翔、大也、美波の物語だ。小説作品から書き手の人間像を推測することに意味はないと思う。にもかかわらず、この作者は人の悲しみを誰よりも温かく見守る人物だと、信じられた。それほどに、三人を見つめる書き手の筆は愛情に満ちている。

 翔は母を亡くし、たった一人の男親が心を病み、遠い海辺の祖母の家に越してきた。楽しみにしていた父との久しぶりの再会は、父親の病状に阻まれる。翔が信じるのは、同じ小学校に通う大也と美波だ。

 大也には、若過ぎる母親に万引の片棒を担がされた過去があり、母の交際相手の男に殴られる日々が待っている。級友にまで盗みを仕向けられる大也。一方の美波は、実父が失踪し、母親と継父と異父弟から露骨に疎外され、孤独に閉ざされる。継父の繰り返される殴打を前に、美波はついに刃物を手に取る。

 三人が現実から逃避できるのは、唯一サーフィンだ。波乗りの腕を上げながら、ただただ、その日の海と対話する。海こそが三人を優しく包む。波とサーフボードが三人を育て、大人への途(みち)を開こうとする。

 壊れた家族は、古今東西、星の数ほど描かれてきたことだろう。人物の境遇を読むのが辛(つら)く、申し訳ないが、結末まで読み通せない作品も皆無ではない。だが、本作は違う。私の止まらない涙は、書き手の優しさゆえだ。その言葉一つ一つが心にしみ入り、読後の余韻に浸った。(ポプラ社、1980円)

読売新聞
2024年7月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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