誰とでもつながれる時代なのに寂しさを感じるのはなぜか? 齋藤孝が傑作『百年の孤独』から答えを探る

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百年の孤独

『百年の孤独』

著者
ガブリエル・ガルシア=マルケス [著]/鼓 直 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784102052129
発売日
2024/06/26
価格
1,375円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ふと感じる「寂しさ」との正しい向き合い方

[レビュアー] 齋藤孝(明治大学文学部教授)

IT技術が発展し尽くし、いつでも/どこでも/誰とでもつながることのできる時代になって久しい。しかし「Slackがずっと鳴ってる」「デジタルデトックスしたい」「上司からLINEが来て鬱」という人も多いし、逆につながりが増えれば増えるほど、かえって寂しさを感じるということに心当たりがある人も少なくないはずだ。いったいなぜだろうか? 齋藤孝さん(明治大教授)がいま話題の『百年の孤独』に、その答えを求めた論考をお届けする。

 ***

 人はなぜ孤独に陥るのか。これはなかなか難しい問いです。たとえ仕事で出世して多くの部下に囲まれていても、家庭を持って子や孫に恵まれても、自分は孤独だと感じる人がいるのだから不思議なものです。

 コロンビア出身の作家でノーベル文学賞も受賞したG・ガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』は、そのタイトルが示す通り、孤独な一族が辿る百年間の物語です。マコンドという名の村を創設し、一時は隆盛を極めたブエンディア家が、衰退を経て滅亡へと向かうまでが語られます。

 では、この小説の主題である孤独とは何を指すのか。それは「愛の欠如」です。

 本作ではブエンディア一族の始祖であるホセ・アルカディオから連なる7世代の運命が描かれますが、物語の終盤になってようやく一族で初めて「愛によって生を授かった者」が誕生します。つまりそれ以外の者たちは、愛が欠如した状態でこの世に生まれ、上の世代から次の世代へと孤独が受け継がれてきたことになります。

 なかでも孤独を象徴する人物として描かれるのが、ホセ・アルカディオの息子であるアウレリャノ・ブエンディア大佐です。

 彼にまつわるエピソードの一つに、行く先々で部下にチョークで直径3メートルの円を描かせ、自分だけがその中に立ち、誰も輪の中に入るのを許さなかったというものがあります。これだけではただの変な人に思えるかもしれませんが、自分の母親さえ近づけようとしなかったというところに、ブエンディア大佐の孤独の深さが垣間見えます。彼は保守党政権に対抗して何度も反乱を起こし、革命軍総司令官に上り詰めた一方で、際限なく繰り返される戦争に無力感を覚え、不眠や不安に襲われるようになっていました。

〈絶大な権力にともなう孤独のなかで、彼は進むべき道を見失いはじめていた〉(新潮文庫版261ページ、鼓直訳)

 人は権力や地位を手にしても、それだけでは充足感を得られないことがよくわかります。

 他人が近づくのを拒む一方で、ブエンディア大佐は戦場へ赴くたびに現地の女性に子どもを産ませ、その数は17人に上りました。彼に限らず、この一族は皆揃って性欲や精力が旺盛で、どの世代でもたくさん子どもが生まれます。孤独だからこそ人との交わりを求めるのかもしれませんが、そこから生まれた新しい命がブエンディア大佐にとって愛情の対象になることはなく、むしろ疎ましささえ感じます。

〈彼は、自分の種があちこちに飛び芽を吹いているような気がして、かえって激しい孤独に落ちいった〉(同261ページ)

 一時の感情や勢いに任せて異性と関係を持っても、相手との間に愛がなければ、孤独は解消されないということでしょう。

 このようにブエンディア一族には、愛の欠如による孤独が常につきまといます。もし皆さんが寂しさや虚しさを感じているなら、「自分が孤独なのも愛が欠如しているからだろうか」と自らに問いかけてみましょう。一族を反面教師とし、身近な人たちと愛のある関係を築こうと努力することが、孤独を抜け出すきっかけになるかもしれません。

 本作は孤独をテーマとした作品ですが、決して暗く陰鬱な物語ではありません。日常と非日常を融合したマジックリアリズムと呼ばれる手法で描かれており、作中には予知能力者や空中浮揚する人が登場したり、奇妙な不眠症が流行したり、空から花が降ってきたりと、現実にはありえない出来事が日常的に起こります。読んでいるうちに幻想の世界に入り込んでいくような、不思議な感覚を味わえるのが本作の魅力です。

 また描かれるエピソードがどれも印象的で、冒頭の一文から物語に引き込まれます。

〈長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない〉(同9ページ)

 こんな始まり方をされたら、先を読み進まずにはいられません。続けてブエンディア大佐が思い出したのは、少年時代に父親と見せ物小屋に入ったときの記憶であることが語られます。生まれて初めて冷たい氷に触れた息子は「煮えくり返ってるよ、これ!」と叫び、彼の父親は氷をダイヤモンドと勘違いする。ここだけを読むと仲良し親子の楽しい物語だと勘違いしそうですが、それを大人になった息子が銃を向けられた状況で回想しているとなれば、このエピソードが持つ意味合いも変わります。

『百年の孤独』はラテンアメリカの歴史を寓意的に語った神話的な作品と評されますが、人によって様々な受け止め方が可能なのが神話であり、本作も一つ一つのエピソードについて読み手が自由に解釈できるのが面白さです。

 寂しさや不安で心がざわつく夜は、『百年の孤独』を開いて、不思議な世界観にどっぷりと浸ってみてはいかがでしょうか。

月刊プレジデント
2024年2月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

プレジデント社

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