『日本語と漢字 正書法がないことばの歴史』今野真二著

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日本語と漢字

『日本語と漢字』

著者
今野 真二 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
語学/日本語
ISBN
9784004320159
発売日
2024/04/23
価格
1,034円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『日本語と漢字 正書法がないことばの歴史』今野真二著

[レビュアー] 岡本隆司(歴史学者・早稲田大教授)

文字化で「ずれ」 表記複雑化

 日本語は世界屈指の習得困難な言語らしい。定まった「文字化」を通じた「正書法」が存在しないからである。

 本書はそんな日本語の分析に「歴史」から切り込んだ。学術書ではないものの、大学の講義をまとめた学問的成果なので、手軽そうな装丁・文体とは裏腹に、内容はかなり高度である。日常何となく使っている母語の複雑な実体を知るには、この体裁がかえって適切かもしれない。

 日本語はもともと文字を有さない言語だった。不可避だったとはいえ、その「文字化」に漢字を用いたことが、日本と日本語の運命を決する。

 漢字は表意文字なので、外国語としての「字義」が日本語表記の構成に影響を与えつづけた。和語を漢字で「文字化」するには、和漢の間で「語義」の「ずれ」が生じ、「すりあわせ」る必要がある。そのありようが日本語の表記・文体に決定的な意味をもった。

 その経過の精細な解明が本書の圧巻である。万葉仮名から「和漢混淆(こんこう)文」の成立を経て、江戸時代に「印刷革命」や白話の「近代中国語」受容などで「精密」化をくわえて、表現は豊饒(ほうじょう)となり、表記も複雑化の一途をたどった。

 近年のカタカナ語にとらえがたい違和感を覚えている。このたび「漢字を使って日本語を文字化し続けた」「日本語の歴史」から、その正体がようやく納得できた。

 カナはあくまで「仮名」、仮の文字だから、本来的に「微調整」の機能しか持ち合わせない。漢字・漢語との「ずれ」の「すりあわせ」が日本語表記の核心なら、カタカナ語は核心を失った表現形式なのである。

 以上はほんの一例にすぎない。やはり言語も歴史から説明しなくてはわからないし、日本語の理解には、漢字の特性を知る必要がある。

 その点、認知を得ているだろうか。「芸(げい)」「弁(わきま)える」など「ずれ」ではなく別の漢字を、官民あげて気づかず使って憚(はばか)らない現代人では、どうにも心許(こころもと)ない。(岩波新書、1034円)

読売新聞
2024年7月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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