<書評>『私の身体を生きる』西加奈子、村田沙耶香、金原ひとみほか 著
◆性や外見めぐる痛切な語り
私の身体を生きるとはどういうことだろう? ある人にとっては、特段問題にもならないかもしれない。だがある人にとっては、この上なく困難なことかもしれない。実際、「私の身体を生きる」ことを、社会的に特に困難にさせられてきた集団は確かに存在する。その集団とは、たとえば障害のある人々や女性、性的マイノリティである。
本書は、第一線で活躍する17人の表現者によるエッセイ集である。ここには身体をめぐる個々の格闘が凝縮されている。「私の身体を生きる」をテーマとするそのエッセイには、各々(おのおの)の個人的な体験が綴(つづ)られており、時に強い痛みを伴っている。
例えば島本理生が語るのは、30代半ばを過ぎてようやく「私」になれた、という実感である。少女だった彼女が受けた性被害、若い彼女を縛ったジェンダー規範やルッキズムが、「私」を生きることを阻害し続けていたのだ。あるいは西加奈子が語るのは、17歳で性被害に遭った後に入れ続けているタトゥーのこと、被害者さえも加害者になり得るという苦い内省である。
鈴木涼美の語りもまた、性被害の体験から始まり、自分の身体を母のもののように感じたという認識をめぐって展開していく。母から身体を取り戻すために、性行為をして自分を「汚してみたくて仕方なかった」のだと。女性の書き手ばかりを集めた本書であまりにも頻出する性被害に関する語りは、女性にとって「私の身体を生きる」ことがいかに困難かを浮き彫りにするかのようである。
身体をめぐる各々の格闘を描き出すエッセイは、どれも短いながら血の滲(にじ)むような迫力に満ちている。とりわけ、能町みね子のエッセイはぜひ広く読まれるべき白眉の作である。冒頭から、彼女はこう言う。「私の身体を生きる」を自分について肯定できない、肯定できる日が来るとは思えない、と。私の身体は私の敵なのだと。自らの経験と実感を丁寧に紐(ひも)解きながら語られるその語りは、本書のテーマの重さを、改めて読者に突き付けるだろう。
(文芸春秋・1650円)
小説家、美術作家、コラムニストら17人によるリレーエッセー。
◆もう一冊
『女のからだ フェミニズム以後』荻野美穂著(岩波新書)