【祝・三島由紀夫賞受賞】大田ステファニー歓人さんの『みどりいせき』に早くから注目してきた書評家の豊崎由美さんと、ジュンク堂書店池袋本店でのトークイベントの様子をお届け!

対談・鼎談

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みどりいせき

『みどりいせき』

著者
大田ステファニー歓人 [著]
出版社
集英社
ISBN
9784087718614
発売日
2024/02/05
価格
1,870円(税込)

【祝・三島由紀夫賞受賞】大田ステファニー歓人さんの『みどりいせき』に早くから注目してきた書評家の豊崎由美さんと、ジュンク堂書店池袋本店でのトークイベントの様子をお届け!

『みどりいせき』は“変”な小説

豊崎 今のお話を聞いてても、大田さんって文体家なんだなと思います。最初は勢いで書いたふしがあるけど、それを少しずつ直して、調子を作ってるっていうか。例えば、次の箇所。

 水中の気泡が深いとこから浅いとこへと昇ってくよーに、死体に充満したガスがぼくを浮かびあがらせた。そんでぼんやりな意識が息継ぎみたいに水面から頭を出す。あー、まだ生きてることとか昼寝が気持ちいいとか当たり前のことに肺が膨らんで、肺胞に取り込まれた喜びみたいなのが血液に乗って全身を巡り、ぼくは息を吹き返す。じゅうぶんに満足したら息を止める。また潜水する。

全体的にこの小説の素晴らしさって、主人公が沈静したときの精神の状態とかその瞬間瞬間の身体感覚とか、そういうことを巧みに文体の変化で表現していることにあるんですよ。それってとても難しいことなんだけど、デビュー作にして大田さんがやり切ってるのは、本当にすごい。その白眉がみんなで大麻をキメるシーンです。あの感覚描写を平仮名で押し切ってますよね。最終的にタイポグラフィーみたいに文字の配列を換えたりもしてて、あそこからは「ぼく」の高揚感がありありと伝わってきました。ただ、それだけじゃなくて、ところどころでお父さんのことを思い出したりして、正気の部分がどこかにあることもちゃんと書き込んでいる。
大田 薬物による変性意識は深層心理の顕在化と捉え、正気を残しました。
豊崎 そう。その正気の混じらせ方も素晴らしい。何よりこの作品は全体的に“変”なんですよ。私は“変”なものを見つけると、まず尊敬するんです。なぜってそれは自分にはないものだから。“変”なものは自分の価値観の埒外にあるもので、好きとか嫌いとか関係なくそれを見つけた自分のことを深く揺り動かすんです。私は『みどりいせき』のページをめくっていたとき、これはすっごい”変”だと思ったから安心して読めたんです。
大田 わわっ、ありがとうございます。
豊崎 だって、普通の感覚だったら”変”なものって書けないんですよ。常識とか理性が制御しちゃうわけで。でも、この作品はそういったものとせめぎ合いながら生まれた感じがして、それがとても良かった。
大田 ごみ収集の仕事をしながら書いてたんですけど、そこへ転職する前の会社では一応、社会と折り合いつけようと思ってたんです。でも、肉体労働の業界って割と自由でおおらかで。一緒に暮らしてるパートナーも、遊んでくれる友達も、もともと自分の自制心の無さを受け止めてくれるタイプで、周りにいるのがだらしない自分のありのままの姿を受け入れてくれる人たちばっかなので、感覚がぼけちゃって、それが書いたものに反映してるのかもしんないですね。
豊崎 なるほどね。自他の境界が曖昧な感じなんですね。
大田 そうなっちゃいました。もし変だったら声かけて、みたいな感じでふだん過ごさせてもらってるんで、ふわふわしたものを書いてても自分で気づかないのかも。それくらい自由に生きさせてもらってます(笑)。
豊崎 あと、特徴的なのが擬音。この小説は擬音が多いんですよ。
大田 それは結構自覚的に書きました。子どもたちの話だから、語彙を選ぶのがやっぱ難しいんですよ。擬音じゃなく端的に表現できるところはたくさんあるんですけど、この主人公の言葉遣いじゃないよなって。あと、コロナ禍が始まってから、自分、なんかわかんないんすけど、言葉が全然出てこなくなって。擬音で喋ってることが多いんです。そういうのも反映されてるんだと思います。言ってみたらコロナ禍文学ですね(笑)。
豊崎 コロナ禍文学にもいろんなものがありますからね(笑)。

近影
1961年愛知県生れ。書評家。主な著書に『時評書評──忖度なしのブックガイド』、『まるでダメ男じゃん!』、『ガタスタ屋の矜持』、『ニッポンの書評』、『正直書評。』、共著に『百年の誤読』、『文学賞メッタ斬り!』シリーズなど。

ダメ人間小説としての『みどりいせき』

豊崎 あとね、この小説はユーモアも卓越してるんです。思わず声出して笑っちゃった箇所がいくつもあって。
大田 ほんとっすか? 嬉しいなぁ。
豊崎 うまいと思ったのは、鎌倉への振替実習に参加できなかった主人公が、親切な学級委員の山本くんからもらうお土産の使い方。野球部でもある山本くんはいいやつだから、ふだんあまり学校に来ない「僕」に大仏のキーホルダーを買ってきてくれるんですよね。で、それは押すと木魚の音が鳴るの。
大田 続いてお経が流れる(笑)。
豊崎 そうなんです(笑)。「僕」はそれをポケットに入れておくんだけど、春たちと揉めてるときに衝撃で鳴っちゃうんですよね。最初は堪えてるんだけど、二回目でみんな大笑いしちゃう。ここはうまいなぁって思った。映画化されたらこのシーンはイキだなって(笑)。
大田 そこは推敲の段階で付け加えたんですよね。物語のすじ的には春たちと喧嘩しちゃうところが大事なんですけど、それだけだとシリアスになりすぎちゃうから。性格的にそういうのちょっとムズムズしちゃうので、こういうのを入れてみました。
豊崎 テクニカルだと思いました。この主人公の「僕」は何につけても無気力な高校生ですよね。彼は不登校気味で、学校に来てもクラスメートとも交流せず、校舎を徘徊してばかりじゃないですか。そんな「僕」が兄や仲間たちと大麻クッキーの売買を手がける一歳年下の春と再会して仲間になり、彼女らの隠れ家でようやく居場所を見つける。そんな物語なんですけど、さっきの大田さんご自身が学校に馴染めなかったって話を聞くと、ここにはご自分が少しは投影されてるのかなって思ったりもするんですが。
大田 あえて意識しないので自分じゃわかんないですね。入ってるっちゃ入ってるかもです。誰かがあるインタビューで言ってたんですけど、小説って一人の人間が作ってる世界だからどうしても自分が入らざるを得ないって。俺もそんな感じだと思います。
ただ、自分はみずから選択して学校へ行かないって決めたタイプです。でも、彼はそうじゃなくて、自分じゃ決められないからどうしようかなって揺らぎがある。そこに自分との違いがあるんで、主人公の学校や社会との距離を描くときは頭を使いましたね。
豊崎 私はダメ人間小説が好きだから、この「僕」がすごく好きです。最初、クビになったアルバイト先から給料の件でメールが来るとひどい言葉を返すんだけど、でも一方で、気が弱い部分もあるんですよね。お父さんが死んだことを怒ってるのも悲しいからだし、ずっと自分と二人三脚で生きてきたお母さんに対しては愛情がある。思春期だからその愛情ゆえにうまく話ができなくなってたりもする。そんな「僕」のキャラクターがとてもいいなぁって思いながら読んでました。ダメだけど、ダメ過ぎるわけじゃないし、そんなダメな状態からすぱーんと成長することもない。そういうのがぜんぶ好きですね。
大田 主人公の情けない部分や人間として弱い部分を書いてると自分を見てるようで、なんだろうな、こいつはって思ったりもしました。でも、そこに春がカウンターをかますじゃないですか。スカッとするんですよね、書いてて。
豊崎 春はかっこいいもんね。
大田 かといって春が絶対の正義にならないようには気を使いました。あくまでツッコミ役みたいな感じっていうか。でも、春だけじゃなくて、人と人が一緒にいる時間を描くってことは意識しましたね。一人でずっといるとどうしても内省的になっちゃうし、主人公の声だけ書いてると、すごく煮詰まっちゃうからいろんな人の声が入って、響き合って、そいつらの世界が丸ごと自分のなかで立体的になっていく方が好きなんですよね。「あれいいよね」「そうだね」「このお肉美味しいね」「うん」「あのお店気になるね」「行こうよ」みたいに気持ちが一直線の会話だったらなくてもいいじゃんって思っちゃうし。会話なんて思い通りいかないことの方が多いわけだから、ふだん自分が人と喋ってるときの感じをそのまま真空パックにして書こうとしました。
豊崎 「僕」が大麻クッキーを食べてる自覚がまだなくて、春たちのやってることが何なのかわかってない初めの方なんてまるで噛み合ってないですしね。
大田 読む人がなんとなくわかるぐらいでいいかなって思ったんですけど、割と伝わってくれたみたいでよかったです。

文芸ステーション
2024年6月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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