【祝・三島由紀夫賞受賞】大田ステファニー歓人さんの『みどりいせき』に早くから注目してきた書評家の豊崎由美さんと、ジュンク堂書店池袋本店でのトークイベントの様子をお届け!

対談・鼎談

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みどりいせき

『みどりいせき』

著者
大田ステファニー歓人 [著]
出版社
集英社
ISBN
9784087718614
発売日
2024/02/05
価格
1,870円(税込)

【祝・三島由紀夫賞受賞】大田ステファニー歓人さんの『みどりいせき』に早くから注目してきた書評家の豊崎由美さんと、ジュンク堂書店池袋本店でのトークイベントの様子をお届け!

近影
大田ステファニー歓人さん

大田ステファニー歓人、言葉と出会う

豊崎 大学と言えば、大田さん、日本映画大学に通っていらして、そこで関川夏央さんと出会ったことが自分にとって大きかったとインタビューで語ってらっしゃいますよね。
大田 関川さんも俺が立ち歩いたりしても何も言ってこない人でした。だから授業の雰囲気も良くて過ごしやすかったですね。もちろん文章の細かい指導もしてくれる人なんですけど、概ね自由に書かせてくれたし、何より書いた文章を否定しないでくれたのがありがたかったっす。何書いてんだお前は、みたいなリアクションもありつつ、でも、こういうところを書こうとする気持ちが偉い、みたいに書く姿勢を褒めてくれたりして。
豊崎 いい先生ですね。今回の受賞はお知らせしました?
大田 メールはしました。そしたら「おめでとう。『すばる』に掲載されたら読んでみます」って返事をくれたんですけど、関川さんに読まれるって思ったらすげえ怖くなってそのメールまだ返信してない(笑)。
豊崎 怖くなっちゃったんだ(笑)。でも、関川さんは大学生だったときの大田さんの文章を評価してくれてるわけだから、『みどりいせき』もきっと何かしらいいリアクションしてくれるんじゃないですか? それに関川さんからだったら何を言われてもいいじゃないですか。一度、自分のことを理解してくれた人がちゃんと読んで批判なり賞賛なり、反応をくれるわけだから、それはそれでまた一つの栄養になるわけだし。
大田 まさしくそうっすね。メール返してみようかな(笑)。
豊崎 関川さん以外に、大田さんが小説を書くに至るまでの大きな栄養源となった人や作品って他に何かありますか?
大田 音楽は小さい頃からずっと自分のなかに流れてた気がします。中学のときはブルーハーツやビートルズがめっちゃ好きでした。さっき学校が嫌だったって話しましたけど、ビートルズとブルーハーツがあったから生きながらえることができたっていうか。ブルーハーツのヒロトがブラックミュージックに精通してたのもあって、高校に上がってからはR&Bとかソウルの路線もディグりながらヒップホップを好きになっていきました。もちろんハイロウズやクロマニヨンズも聴きまくったし、その流れでパンクをディグったりもしましたね。
映画は六〇年代、七〇年代のアメリカン・ニューシネマを観てました。あの時代ってカウンターカルチャーだから、学校と折り合いのつかなくなっていた自分としては反抗的な登場人物にめっちゃ共感できて。ああいった反体制的な作品が支えになっていたんだと思います。だから大学でも映画を学ぼうと考えたし。そこらへんの精神が自分の核を作っていったような気はしますね。
豊崎 小説はどうですか? 何か影響を受けた作品があります?
大田 さっき音楽でパンクを好きになったって言ったんですけど、町田康さんのINUを聴いてたんですよ。小説も書いてるって知って、『パンク侍、斬られて候』を読みました。江戸時代の話なのにセックス・ピストルズとかボブ・マーリーが出てくるのがすごい衝撃的で。中学生だからもろに影響受けましたね。『くっすん大黒』もすごく面白かったんですけど、よく考えればあの作品を読んだのは大学に入ってからだった気がします。『パンク侍、斬られて候』には単純に文字を読む喜びを教えてもらいました。
豊崎 町田康さんは今も『ギケイキ』のシリーズを書いてますけど、時代小説の枠組みを借りながら現代の言葉遣いで語らせてたりして、純文学としての自由度が素晴らしく高い小説家ですよね。エンタメの時代小説とか読んでると「〜でござる」みたいな物言いを目にすることがよくあるんですが、本当にそんな喋り方だったのかなって考えちゃうんですよ。時代小説家の方々はさも当時の話し言葉だったかのように書いてますけど、私はああいうのは「なんちゃってござる」だと思ってます。
その点、町田康さんは全くそのルールに従おうとしないのがいいですよね。あくまでも江戸時代は小説の設定だけで、現代性を失わない。だから登場人物には現代の言葉を持たせるし、ガジェットも現代風のものを書き込む。登場人物にブランド品を持たせたり、セックス・ピストルズの音楽を聴かせたりしてね。あれは確かに斬新ですよね。
大田 マジですごかったっすね。学校の代わりになる面白いものを探してる時期にあの作品に出会って、当時の持て余してた時間を埋めてくれました。言葉を追うのがいちいち楽しかったのを覚えてます。

わからないけどすごいことだけはわかる小説

豊崎 私、大田さんの小説を読んだときに、この人は現代詩が好きなんじゃないかなと思ったんですよ。現代詩は読まれますか?
大田 現代詩の熱心な読者ってわけじゃないんですけど、すごく興味があります。最近は自分のなかでガザへの関心が強くなってるからSNSでもそればっかり見ちゃってて。するとタイムラインにたまにパレスチナの詩人の詩が翻訳されて流れてくることがあるんすね。そういうの読むと、めっちゃ心掴まれるんです。遠くで落ち込んでる場合じゃないって思わせてくれる言葉の力、すげぇみたいな感じで。日本に暮らす自分たちとは違う環境や文化のなかから編み出される言葉に圧倒されるんですよね。
豊崎 私はどうして現代の日本人はもっと詩を読まないのかなってずっと思ってるんです。そこに不満があるから、自分が持っている書評の連載ではたまに詩歌を取り上げることにしています。新人の小説家でも、言葉の感度が高くて現代詩との相性の良さそうな人には詩を書いてほしいんですよ。だから大田さんのことも『現代詩手帖』の編集者に激推ししてるところです。
大田 えっ、書きたいっす! 書いてみたい! 日本の現代詩人で言うと、一昨年出た山崎(「ざき」はたつさき)修平さんの『テーゲベックのきれいな香り』って小説がめっちゃ良かったっすね。
豊崎 たしかにいいですね。
大田 あんま理解できてるかわかんないけど、すごく面白かったです。山崎さんは『週刊読書人』の文芸時評で『みどりいせき』をいち早く取り上げてくれたんですよ。それも「この小説には詩情がある」みたいに書いてくれて、やばい嬉しかった。自分が読んですごいと思った小説の作者にそんなこと言ってもらって、感動しました。
豊崎 山崎さんは詩人としてもとても優れた方だから、良かったですね。山崎さんもそう感じたんだと思うんですけど『みどりいせき』を読んだ人はやっぱり文体に魅せられると思うんですよ。自分ではこの語りの声はどこからやってきたんだと思いますか?
大田 この小説はできるだけ読む側と書いてる側の気持ちが離れないように意識しました。書いてる側が見せたいものと読む側が受け取るものの距離を近づけたいなって思ったんです。親近感じゃないですけど、そういう近さを感じてもらいたかったっていうか。
あと、ふだん小説を読むときも音は割と意識するから、それもあったかもしんないです。少し前の『すばる』に載ってた田中慎弥さんと宇佐見りんさんの対談で、田中さんが宇佐見さんは音で書いてるのがわかるって言ってたんですけど、俺もその感覚はわかる気がして、特に口語体だと町田康さんだったり川上未映子さんだったり、最近だと井戸川射子さんも音の作家だと思います。自分的に『ここはとても速い川』がめっちゃ好きだったんですけど、ポエジーとか音のリズムをめっちゃ感じました。自分が書くときにもそういう音への意識が作用してるのかも。
ただ、正直言うと、ここまで文体にみんな食いついてくれるとは思ってなくて(笑)。そこまでかっ飛ばしたつもりはなかったから、みんなと感覚ずれてるのかなって本が出てからずっと微妙な気持ちになってます。自分なりにちょっと抑えたつもりだったんですけどね。
豊崎 私はけちんぼだからどんな小説も必ず最後まで読むことにしてるんです。最初は波長が合わない小説でも、そのうちに合ってくることってあるんですが、この小説はその瞬間が来るのが早かったんですよね。大田さんは私からしたら「文化的孫世代」みたいなものだから、育ったカルチャーも違うし不安だったんですけど、冒頭を少し読んだところで、これは大丈夫だって思いました。
この小説は「僕」が小学生の頃に野球をしているシーンから始まりますよね。一緒にバッテリーを組んでるエースピッチャーの春のボールを相手のバッターが打ちます。ファールチップになったその球を頭に受けちゃって主人公はそのまま気絶するんですが、その描写を読んで、きた! って感じがしました。大田さん、その場面の最後をちょっと朗読してくれますか?
大田 えっと、ここっすかね。

落ちる直前に、チップをキャッチして揚々と返球する並行世界のぼくと目が合った。そんで時間の連続性は断ち切られ、エントロピーが急減少。たどり着いたのは音も色も、光も闇もない素粒子の世界こんちわ。ここは母宇宙なのか娘宇宙なのか。あるいはバルク。どっちゃ無。からのインフレイション。そしてビッグバン。

豊崎 もうね、何言ってるのかわからないにもかかわらず、「いや、わかる」って感じなんですよ。何を言ってるかわからないけどわかることって世のなかにいくらでもあるんですよね。私だってふだん小説を読んでて全てを理解してるわけじゃありません。わからない小説なんてたくさんあります。だけど、わからないけどすごいってことだけはわかる小説もたくさんあって、この作品もその一つです。
大田 あざっす!!! めっちゃ嬉しいっす。
豊崎 この作品、いわゆる若者のはっちゃけた言葉を使ってのびのびと書いているでしょう。私はこういう年齢なのでわからない単語もいっぱい出てきたんですけど、実は調べなくても読んでいくとわかるようになってるんですよね。かといって、大田さんがそれをいちいち作中で説明するわけじゃないんです。そこがいいんですよ。説明なんて絶対しちゃいけないわけです。小説としてもったりしてくるから。
例えば、最初の方で春がペニーに乗ってる場面が出てくるでしょ。私、ペニーって何か知らなかったんです。だけど、しばらくして、春の友達のラメちがスケボーって言葉を使うんですよね。すると春が「ペニーな」って訂正する。それで、あっ、スケートボードの一種なのかってわかるわけです。年配の人間には通じにくい言葉でも読み進めていけばある程度わかるように、割と計算ずくで書かれた小説じゃないかと思ったんです。
大田 わからないものはわからないものとしておこうと思ってるんですけど、少しはわかってもらおうって気持ちはあんのかもしんないですね。
豊崎 それにぜんぶわからなくても、この子たちだってノリで喋ってるわけだから、読者もノリで文章に乗っかっていいわけです。
大田 保坂和志さんが「小説は“読んでいる時間の中”にしか存在しない」とおっしゃってて、つまり、小説を読むことってその表現や構造を読み解いたり、書かれていることの裏にあるものを考えたりすることだけじゃないらしいんですよね。本があって、それに向かい合ってる人がいれば、そこに読書って行為がある。そんとき、別に本の内容をぜんぶ理解できなくてもいいし、読みながら内容と関係ないことを考えたりするのも読書体験だって。だから俺も、何書いてるかわかんなくてもただ文字を追ってるだけで面白いみたいな小説を書きたいと思ってます。

文芸ステーション
2024年6月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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