『孤独な散歩者の夢想』
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もし私がギュゲスの指輪をもっていたら
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「指輪」です
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ジャン=ジャック・ルソー、老年の趣味は散歩である。パリの街を一人歩く。するとよしなしごとが心に浮かんでくる。それを書き留めたのが『孤独な散歩者の夢想』(永田千奈訳)だ。
ルソーは画期的著作によって今でいう炎上の連続、四面楚歌の状況だった。すべては恐ろしい「陰謀」のせいだと信じ込み、苦悶する。やがて開き直った。世間など捨て去って残された日々を過ごそう。そして孤独な散歩を「無心の生活」の支えとしたのである。
有名人になったのが間違いだった。だれにも知られないままでいれば幸せだった。そこで空想が広がる。
「もし私がギュゲスの指輪をもっていたら」
プラトンの『国家』に出てくる、それをはめた者の姿を見えなくする指輪のことである。そんな指輪が手に入ったとしたら?
自分はきっと、みんなの幸せのためにそれを使うだろう。私利私欲のために悪用したりはしない。「神の摂理の代行者」としてふるまうつもりだ。
ちょっと立派すぎませんかという声が聞こえたか、ルソーは急に思い直す。いや、だれにも見られずどこにでも入れるのはあまりに危険な「誘惑」だ。理性では到底、抑えられそうもない。
「馬鹿なことをしでかす前に魔法の指輪を捨ててしまったほうが賢明かもしれない」
どんな恥ずかしい事態を想像したかは書かれていないが、その暗黙の部分に読者は興味と共感を誘われる。