「子供部屋おじさんはハグがしたい」辛い状況に圧し潰されそうな人へ贈る賛歌の『ジンが願いをかなえてくれない』とは

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ジンが願いをかなえてくれない

『ジンが願いをかなえてくれない』

著者
行成薫 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334103002
発売日
2024/05/22
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

辛い状況に圧し潰されそうな現代人へ。ほっこり読める短篇集

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 人生を彩る、ささやかな奇跡。

 行成薫『ジンが願いをかなえてくれない』は誰かの身に起きた、信じられない、だが他人からすれば些細な出来事を描いた短篇集だ。

 表題作はジン、つまり『アラジンと魔法のランプ』に登場する魔人を呼び出してしまった、高校生・長(なが)羽(はね)初(うい)香(か)の物語だ。現状に不満しかない初香は、自分ではない存在になりたいと望む。しかし願い事をなんでも三つ叶えてくれるはずのジンは、くどくど言い逃れてなかなか聞き届けてくれないのである。ようやく一つの願いを叶えてくれて、というところから話が転がっていく。

「ユキはひそかにときめきたい」の主人公は韓国発の男性アイドルにはまっている。いわゆる推し活だ。ある日彼女は胡散臭い業者から不思議な液体を買う。飲むと正真正銘の「ときめき」が手に入るというのである。それは嘘ではなかった。その日からユキの目には、冴えない五十男の夫が、推しであるアイドルのジュダに見えるようになったのである。

 超自然的要素があるのはこの二篇だけだ。だが巻末の「パパは野球が下手すぎる」は、現実に起こりうることしか書かれていないのに、大人のお伽噺とでも言うべき現実離れした内容になっている。野球に熱中する少年の父親がキャッチボールもできない運動音痴だったことがわかる、という出だしが予想もしなかった話に化ける。その落差の大きさに、不覚にも涙を誘われた。

 屋上での秘密の昼食時間が二つの人生を変える「屋上からは跳ぶしかない」、ルッキズムなど偏見を超えたところにある人同士の共感を描いた「子供部屋おじさんはハグがしたい」、静かな愛の物語である「妻への言葉が見つからない」など、辛い状況に圧し潰されそうになっている現代人への讃歌として読める作品が並ぶ。片時の安らぎが人の心を救うこともあるだろう。そうした愉悦、ささやかな奇跡となりうる一冊だ。

新潮社 週刊新潮
2024年6月27日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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