難民が直面する現実は、「そんなに遠い世界の話ではないのです」

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ノイエ・ハイマート

『ノイエ・ハイマート』

著者
池澤 夏樹 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103753100
発売日
2024/05/30
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

難民が直面する現実は、「そんなに遠い世界の話ではないのです」

[レビュアー] 辻山良雄(「Title」店主)

 ある日巨大な暴力により、ふつうに暮らしていた人びとが、住んでいた場所から強制的に追い立てられ、「難民」となる―わたしたちはこれまで、そうした傷ましい現実を、様々な地名とともに記憶してきた。シリアで、クロアチアで、アフガニスタンで起こった出来事は、個別に見れば〈点〉かもしれない。しかし作家の想像力は、いつ・どこかの時点で難民となってしまった彼らの個の物語を、その普遍を示すかのように、一枚の織物として紡いでいく。

 軸となるのは、ある二人のジャーナリストの話だ。シリア人のラヤンはシリア内戦を取材していたが、戦闘を撮ることには疲れてしまった。それで彼は、心ならずも故郷を離れ新天地を求めさまよう人たちの旅路を追いかけようと心に決める。

 だが、「難民」としての彼らの旅は、困難を極めた。

 金や暴力で腐敗した検問所。トラックの荷台に、荷物のようにすし詰めにされたあと、彼らは黒いゴムボートで海を渡る……。艱難辛苦の果て、どこか身を落ち着けることのできる場所まで辿り着けるかどうかは、神のみぞ知るが、物語の筆致は臨場感に溢れ、難民がこの世界で受ける現実の冷たさ、厳しさを、余すところなく伝えている。

 旅の様子は、日本人ジャーナリスト・至に、逐一メールで送られた。二人はバグダッドの取材で知り合った旧知の仲だが、報告に突き動かされるように、至も現地に向かう……。

 本書ではこうした縦軸に、様々な「難民」の話(満洲からの引揚者や戦火のクロアチアから避難してきたお婆さん、レバノンでの内戦のあおりを受け、日本に辿り着いた男性など)が、横軸として織り込まれる。文章のスタイルも、短編や詩、引用といったように次々と変化するが、読み進めるうち、その話がフィクションなのかノンフィクションなのかは、もはや問題ではないように思えてきた。

 まったくのところこの本は、聴けば聴くほど伝えたいテーマがはっきりと深く身に沁みてくる変奏曲のようなのだ。それは「創作」だからこそ、可能になったことだと思う。

 池澤夏樹は、これまで住む場所を転々と変えながら、人間を、世界を見てきた作家である。その彼が日本人に向け「そんなに遠い世界の話ではないのです」と書く。タイトルの「ノイエ・ハイマート」とは、ドイツ語で「新しい故郷」という意味だが、その言葉に含まれる矛盾や意志を噛みしめる読書となった。いま読まれるべき本だと思う。

新潮社 週刊新潮
2024年6月27日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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