「政治家が高学歴化しない」のは日本の知的伝統なのか――「科挙」を導入しなかった反知性主義社会のゆくえ

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「反・東大」の思想史

『「反・東大」の思想史』

著者
尾原宏之 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784106039096
発売日
2024/05/22
価格
1,980円(税込)

河野有理×森本あんり「日本の『反知性主義』を問い直す」尾原宏之『「反・東大」の思想史』刊行記念 後編

[文] 新潮社

■「キッザニア」から見える職業観

河野:このギャップは、欧米とのあいだにだけでなく、東アジアの諸国とのあいだにもあります。春木育美さんの『韓国社会の現在』に紹介されていたのですが、職業体験テーマパーク「キッザニア」では、韓国と日本でその内容に違いがあるそうですね。

森本:へぇー、そんなに違うんですか?

河野:一言でいうと、日本の「キッザニア」には職人やブルーカラー労働が子どもたちが体験できる職業として用意されているのですが、韓国にはそれはないのだそうです。かわりに外交官とか国連職員とか、そういう仕事が用意されている。

森本:それは知りませんでした。なるほど違いますね。

河野:関連して言うと、日本では、大学を卒業した人が、パン屋やケーキ屋を始めたとしても大して驚かれないと思うのですが、それはもしかしたら世界的にはあまり当たり前のことではないかもしれない。

たとえばドイツでも、職人を尊重する文化自体はあるそうですが、子どもの進路として見た場合、職人を目指す子どもと、大学に入る子どもとはかなり早い時期に分かれることになります。大学を卒業した人が料理人になることを選択しても別に何の不思議もないということそれ自体が、先ほどお話しした江戸時代以来の言うなれば反知性主義的な構造の産物といえるかもしれませんし、そしてそのことは明らかに日本の強みでもあると思うのですね。

■日本の反知性主義の「軸」はどこにあるのか?

森本:こうしてお話ししてみると、たしかに、日本には独特の反知性主義の土壌があることがわかります。ただ、それが正面切って知性主義に対抗する「別の軸」となるかどうか。何となく隅っこでぶつぶつ言っている感じです。

かつて丸山眞男は、日本では学問も芸術もみな政治集団と相似形をなして権力に従属してしまう、と書いています。政治的な価値を超えた価値へのコミットメントが弱い。だから大学も学問もみな政治権力の前に一列に並べられてしまうのではないか。

河野:『反・東大』でも、東大とは異なる価値や教育方針を掲げる教育者・思想家が次々と登場するものの、むしろ学生や父兄の側から東大的な価値、偏差値教育的なものを求められて、四苦八苦する様子が描かれていますね。

森本:中世の聖俗二権論以来、その「別の価値」を提示してきたのが宗教です。日本でもキリスト教系や仏教系の大学が多く存在し、その教育目標などを読むと「国家の大学」とは別次元の内容が掲げられています。私の母校の国際基督教大学(ICU)なんて、名称に基督教を入れた段階で、日本的な「大学」の通念への挑戦です。しかし、それらの大学がどこまで宗教的な軸を学生たちに伝えられているか、また学生の側がどこまでそれを期待しているのかと言えば、心もとないですね。

河野:『反・東大』の第5章では、同志社の新島襄が登場します。せっかく学生たちにキリスト教に基づく教育を授けても、その後に立身出世を求めて東大に進学すると、キリスト教から離れてしまうと嘆いていますね。

森本:身につまされる話です。東京女子大学もキリスト教系の大学で、「高い知性と独立した人格をもつ女性」を育てるのが創立時の理念でした。ところが、いつの間にかみな何となく偏差値や大学ランキングを気にするようになってしまう。そういうものとは異なる教育をするために設立された大学なのに、偏差値やランキングを維持しないと日本では大学として生き残れない。なかなか厳しい闘いです。

河野:日本には、儒教的なメリトクラシーに対抗する反知性主義の伝統が根強くある一方で、東大的なものとは異なる「別の軸」に基づく教育をしようと思っても、それにはなかなか付いて来てくれない。本当に不思議な国ですね(笑)。

森本:いくら大学改革で多様性のある教育を求めても、偏差値に代わる「軸」となる思想がないから、結局は序列化されて「ミニ東大」のような大学が増えてしまう。

河野:そもそも大学選びの際に重視されるのは、各大学が掲げている理念や教育内容よりも、キャンパスの立地だったりしますからね。『反・東大』では、法政大学に勤務していた哲学者の三木清が、東大人気の源は、文化都市・東京のど真ん中にあるという「立地の良さ」にあると喝破していた話が紹介されていました。

森本: リベラルアーツの大学は、あえて都会の外にキャンパスを求めるのが本筋なのですけれどね。拙著『反知性主義』では、日本には強力な知性主義もなければ、強力な反知性主義もなく、あるのは「半」知性主義だけだという教育社会学者の竹内洋さんの見立てを紹介しましたが、それを打破するのはなお難しそうです。

河野: 尾原宏之さんの『「反・東大」の思想史』は、そのような日本の反知性主義/半知性主義のあり方を見事に浮き彫りにしていると思います。ぜひ本書を足掛かりとして、日本の反知性主義の思想的な「軸」が明らかになることを願っています。

***

河野有理(こうの・ゆうり)
1979年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。日本政治思想史専攻。首都大学東京(当時)法学部教授を経て、現在、法政大学法学部教授。主な著書に『明六雑誌の政治思想』(東京大学出版会、2011年)、『田口卯吉の夢』(慶應義塾大学出版会、2013年)、『近代日本政治思想史』(編、ナカニシヤ出版、2014年)、『偽史の政治学』(白水社、2016年)、『日本の夜の公共圏:スナック研究序説』(共著、白水社、2017年)がある。

森本あんり(もりもと・あんり)
1956年、神奈川県生まれ。東京女子大学学長。国際基督教大学(ICU)人文科学科卒。東京神学大学大学院を経て、プリンストン神学大学院博士課程修了。国際基督教大学人文科学科教授を経て、現職。専攻は神学・宗教学。著書に『アメリカ的理念の身体』(創文社)、『反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)、『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書)、『異端の時代』(岩波新書)、『キリスト教でたどるアメリカ史』(角川ソフィア文庫)、『不寛容論;アメリカが生んだ「共存」の哲学』(新潮選書)など。

新潮社 考える人
2024年6月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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