「あの頃の痛みがチクチクと蘇る」ミュージシャン・高野寛にとって「今もこころに残る本」とは? 厳選3冊を紹介

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今もこころに残る3冊

[レビュアー] 高野寛(ミュージシャン)


ミュージシャン・高野寛さん

「虹の都へ」「ベステン ダンク」などのヒット曲、伝説のテレビ番組「土曜ソリトン SIDE-B」で知っている方も多いのではないだろうか? ソロアーティスト、プロデューサーなど様々な顔を持つミュージシャン・高野寛さんが、心に残る3冊を紹介。

重松清『きよしこ』

 公務員だった親の仕事の都合で、幼稚園で一度、小学校で二度、中学校で一度転校した。生まれた街の記憶はない。同じ街に住めるのは大体3~4年間。成人式を迎えても、どの街の式に出席したらいいのかわからなかった。結局、大学の学生寮のコタツで一人でやり過ごした。

 転校経験のない同級生から何度も、「一度でいいから転校してみたいな」と言われたことがある。映画などに描かれる転校生は、しばしばミステリアスなヒーローで、羨ましがられる理由も分かる。でも実在する普通の転校生は、地道にハードな状況と戦わなければならないのだ。

 重松さんの自伝的小説とされている『きよしこ』には、想い出を切断されてしまうような、転校生にしかわからない孤独感が微細に描かれている。主人公・きよしは吃音が克服できずにいる。スポーツは得意だが、話すことが苦手で、転校する度に友達づくりに悩む。

『きよしこ』の心理描写は、転校経験者にはとてもリアルで、忘れかけていたあの頃の痛みがチクチクと蘇る。でも読み終えると、根無し草のような自分のアイデンティティは今の自分になるために必要な過程だったんだと思わせてくれる。そして転校経験のない読者にも、きよしの苦しみと成長は切実に伝わるはず。そのリアリティこそが、この物語の一番の強さだ。

小澤征爾『ボクの音楽武者修行』

 24歳で単身ギターだけを持って、貨物船でヨーロッパに渡り、スクーターで旅をしながら、タイトルそのままに、道場破りのように次々と有名指揮者の門を叩き、文字通りステージを駆け上っていく若き指揮者の挑戦……と、あらすじを文字にしただけで映画の予告編のようだ。小澤征爾さんの若き日の武勇伝は、エッセイというよりは痛快なフィクションのように、心を躍らせてくれる。

 僕も音楽家の端くれではあるが、ポップスの世界には「指揮者」というポジションは存在しない。編曲、つまりさまざまな楽器や音を操ることはポップスにも不可欠だが、その音源も、現代ではPCの中に入っている仮想のプログラムを使うことが多く、PCと人間が共演するライブも稀ではない。

 数十人もの楽団員を束ね、すべてのパートの楽譜を頭に叩き込んで、己の身一つで音をまとめる指揮者の頭脳と人間力の強さは、軽音楽の世界に生きる我々には想像もつかない。

 戦争を生き延び、己の才能と行動力で世界の舞台を掴んだ若き日の小澤さんの姿は、現代人には遥か遠い歴史上の物語のように映る。2024年2月、小澤さんはこの世を去って、そのエッセイも偉人伝となった。

三島由紀夫『美しい星』

 浪人中、予備校に通う電車の中でいつも文庫本を読んでいた。当時は理系を志していたのだが、やる気が起きず、逃避するように本ばかり読んでいた。時々読書に熱中しすぎて電車を乗り過ごしたりもした。その頃初めて三島由紀夫と出会った。三島の文の飛び抜けた美意識の高さは、文学に触れたばかりの19歳にもヒリヒリと伝わってきた。

 あれから40年が経ち、『美しい星』を久しぶりに読み返してみた。まずその流麗な比喩と、五感のすべてを文字で表すような細密な描写に、改めて驚嘆させられた。ネット上の充分に推敲されていない文字を浴び続けている弊害と一流の文学の深さを、改めて思い知るようだった。

『美しい星』は地球に住む宇宙人たちが主人公。三島としては異色の作品だが、そのSF的設定は、地球を俯瞰で捉えるためには不可欠の視点だったに違いないと感じた。まだ大戦の記憶も消えず、東西の冷戦や核戦争の脅威が叫ばれていた1960年代初頭。この物語の主題は戦争を止めることができない人類の愚かさを描くことにあるが、そこに正解は記されていない。

 翻って現代、2020年代半ば。あの時代に較べれば、核の存在が人々の意識に上ることは少なくなった。だが戦いはずっと各地で絶えない。『美しい星』を読み終えた後に、現代の世界の状況に想いを巡らせてみる。三島が投げた、答えの見つからない問い。個々がその問いかけに自分なりの答えを探そうと努めれば、いつか地球は「美しい星」になれるのだろうか。

※[私の好きな新潮文庫]今もこころに残る3冊――高野寛 「波」2024年6月号より

新潮社 波
2024年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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