巨悪に翻弄され、仇討ちは成るのか 時代小説界の新鋭が描く傑作長篇

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春のとなり

『春のとなり』

著者
高瀬 乃一 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414647
発売日
2024/05/02
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

巨悪に翻弄され、仇討ちは成るのか 時代小説界の新鋭が描く傑作長篇

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

「をりをり よみ耽り」が第一〇〇回オール讀物新人賞を満場一致で受賞した著者のデビュー作『貸本屋おせん』に続く、待望の第二弾である。

 米坂藩の侍医・長浜文二郎は、すでに家督は息子の宗十郎に譲り隠居の身。城下の武家町に息子とその嫁・奈緒と三人で暮らしていた。しかしある事から、その暮らしは大きく変わってしまうのであった。

 発端は、隣藩との境目の蛇抜道に、たまたま“芒硝”という希少で高価な奇跡の鉱物を見つけてしまった事だ。

 その三ヶ月後、とんでもない悲劇が長浜家に起き、宗十郎は濡れ衣を着せられた上に、重荷に耐えられず自害した事にされてしまうのだった。夫の無実を信じ、何か大きな力によって殺されたのだと考えざるを得ない奈緒は、義父の文二郎と共に夫の仇を討つべく、江戸へ。

 暮らしを立てるため、文二郎の医者としての類稀なる才能の元、深川で薬屋を営むが、駆け込んでくるのは貧しく薬代も払えない病人やけが人ばかり。奈緒がすでに光を失なってしまった文二郎の目となり手当ても手伝う。文二郎は症状を聞き、その奥にある真実までも見通して、生薬の調合を考え、薬研で押し砕き、悩み事も解決していく。

 惚れ薬を作ってほしいという芸者・捨て丸、かどわかされた我が子を探す同業の染太郎、息子に先立たれ、残された若い嫁と煮売屋を営むも、耄碌して徘徊する八重、酒毒に苦しめられている船頭の辰之助――皆、たしかにそこに生きている。「命を前にするとき、病人も医者も、貧富や男女や老若といった壁はないのだ」と、人間を見る目が優しい。愛おしい。

 果して仇討ちは成るのか。四季の移ろいの中で、庶民の小さな幸せは守られるのか。その細やかな希望は。巨悪に翻弄されながらも、穏やかな春のとなりで心救われる思いがする。はて、捨て丸の欲しがった惚れ薬を使う相手とは……。それは読んでのおたのしみ。

新潮社 週刊新潮
2024年6月20日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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