<書評>『ハルビン』キム・フン 著

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ハルビン

『ハルビン』

著者
キム・フン [著]/蓮池 薫 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784105901943
発売日
2024/04/25
価格
2,365円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『ハルビン』キム・フン 著

[レビュアー] 川村湊(文芸評論家)

◆2人の「愛国者」の出会い

 昔の千円札の肖像であり、初代の大日本帝国総理大臣だった伊藤博文-しかし、現在では日本でよりも韓国の方で、よく知られているかもしれない(特に若い世代には)。もちろん、朝鮮半島を植民地支配した初代の韓国統監の“悪役”「イドン・バンムン」(「いとうひろぶみ」ではなく)として、であるが。

 朝鮮王家を廃絶の道へと導き、韓国を併合した極悪の立役者としての彼を狙撃したのが、大韓帝国臣民・安重根(アンジュングン)だった。ともに、「愛国者」であり、「東洋の平和」の実現を目指した2人(さらに、“暗殺者”であったことも共通している)が、満州のハルビンという都市で、鮮烈な出会いを経験することになったのは、なぜなのか。小説は上海、ウラジオストク、ハルビンへと放浪者のように流浪する青年・安と、豪勢な視察旅行に出発した枢密院議長の伊藤公とが、交互に描かれる。一方の無目的な熱情と、一方の冷静で老獪(ろうかい)な政治的な意志と使命。この折り合うはずのない両極の情熱が交わり、交差し、そして火花を吹いたのが、欧州の入り口であり、アジアの出口(逆も可)であるハルビンの駅頭だったのである。

 作者のキム・フンは、「民族の英雄」でもなく、「卑劣なテロリスト」でもない、猟師の若者・安応七(アンウンチル)(応七は安重根の字(あざな))の暗くて、輝かしい青春を描こうとした。それはおそらく、戦争と革命と維新、テロと義挙の行動に明け暮れした、20世紀後半を生きた作者の半生をも、象徴的に表現するものだったろう(作者は1948年生まれ)。

 この小説の興味深いところは、ドン・キホーテ的な行動の人・安重根の傍らに、サンチョ・パンザ役の禹徳淳(ウドクスン)を配したことだ。ルンペン・プロレタリアートとしての彼は、クリスチャンで思想家の安重根とは別行動で伊藤公を銃撃しようとした(もちろん失敗した)。下宿代を踏み倒すような無頼漢の彼は、明らかに安重根の“陰画”である。安の死刑に対し、禹は懲役3年。明暗の対比は、あまりにも鮮やか過ぎる。

(蓮池薫訳、新潮社・2365円)

1948年生まれ。韓国の作家。『火葬』『黒山』など。

◆もう一冊

林不忘(ふぼう)の戯曲『安重根 十四の場面』はネット上の「青空文庫」で無料で読める。

中日新聞 東京新聞
2024年6月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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