『落語速記はいかに文学を変えたか』櫻庭由紀子著

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落語速記はいかに文学を変えたか

『落語速記はいかに文学を変えたか』

著者
櫻庭 由紀子 [著]
出版社
淡交社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784473045867
発売日
2024/03/21
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『落語速記はいかに文学を変えたか』櫻庭由紀子著

[レビュアー] 尾崎世界観(ミュージシャン・作家)

観たことを読む 緊張感

 小説や漫画が後に映像化され、大ヒットする。こうした流れが当たり前になった今では、まず「読む」が大元にあり、そこから「観(み)る」に展開されていくと思うのが普通だ。それほどまでに、今日では「読む」が揺るぎないものとなった。しかし本書を読めば、そんな「読む」と「観る」がひっくりかえる。

 速記とは、特殊な文字や記号を使い、人が話している言葉を記す技術だ。まだ録音技術がなかった時代、この速記によってどんな物が残されたのか。「観る」を「読む」ことが、いかに画期的で険しい道のりだったか。言文一致体や口語体、新聞連載や雑誌の台頭など、様々な転機や試行錯誤を通じて、生み出すだけでなく、残すことの重要性をわかりやすく伝えてくれる。何より、古典として受け継がれてきた作品がまだ新作だった頃の話は、作品を作る身としても大変興味深い。

 その作品のどこをどうやって残したか。そもそも作品を残すとはどういうことか。観たものを書くというのは、「書かない」ことでもある。何かを書いた時点で、今度は書かれなかった何かが確実に現れる。残すとは、きっとそういうことだろう。速記の歴史からは、書き起こされたものだけでなく、書き起こせなかったものまでが伝わってくる。歴史として残ったもののほかにも、伝わり切らず、そこからこぼれ落ちてしまったものまでが感じられる。そして、速記者は最初の読者でもある。まず速記者が何を書くべきかを「読む」。そうして速記者が書いた物が、さらに大衆に読み継がれていくことで、やっと新作は古典になり得る。書かれたものは、読まれなければ決して残らない。

 ここに書かれているのは、落語速記の歴史でありながら、小説の歴史でもある。揺るぎない「読む」が、まだ不安定でグラグラしていた時代。それを知れば、小説をより愛(いと)おしく感じられる。(淡交社、2090円)

読売新聞
2024年6月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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