『さびしさについて』植本一子/滝口悠生著

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さびしさについて

『さびしさについて』

著者
植本 一子 [著]/滝口 悠生 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784480439390
発売日
2024/02/13
価格
902円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『さびしさについて』植本一子/滝口悠生著

[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)

「書く」2人 交わす手紙

 写真家の植本一子さんの日記をよく読むのだが、読むたびに思うのは、一子さんはさびしがりやで、そのぶん人懐っこく、人に頼り頼られる関係をとても大事にしているということだ。実家から野菜が届いたから、撮影用のお花が余ったから友人たちにお裾分けする、といったことがいつもさらりと書かれている。お子さんが二人いて、夫の石田義則さんが亡くなってからは一人で育てているが、育児も友人たちと助け合っている。家族と友人との間の垣根が低く、何かあれば共同で家族のようになる。本書には、関係を解消したパートナーの荷物を友人たちと五人でまとめるシーンがある。そんな人づきあいをしたことがない私は、いつも驚きと羨望をもって読んでいる。でも、一子さんが書くのもさびしさからだ。

 一子さんは本書で日記ではなく手紙を、小説家の滝口悠生さんと交わしている。滝口さんは小さなお子さんのいる家族で一子さんの近所に暮らしていて、一子さんが撮影で余ったお花を届けている一人だ。先ほどの五人の一人でもある。子どもがいて、家事を担っていて、生活上のことが書くことに深く関わっている点では二人は共通している。しかし、書くことと現実との距離については考え方が違っていて、それが、日記と小説という表現形式に対応している。

 さびしがりやの一子さんは直接的だ。その日あったこと、感じたことを失われないうちに書き留めておきたい。そのような思いで書かれる一子さんの文章は、滝口さんの言うように「きれい」だ。小説家の滝口さんは、あったことをピンで留めるように書き留めることはできず、書くことによって、思い出すことによって「人生が変わってしまう」と考えている。「書くと書かれるとのあいだに時差があ」るという「覚悟」で書いている。

 ところが、一子さんは変わる。ほぼ日記だけを書いてきた一子さんが、エッセイを上梓(じょうし)する。日記からエッセイへという変化は「時間の幅に伴う鈍化を引き受ける」ことだと言う滝口さんは、書くことにどこまでも向き合っている。(ちくま文庫、902円)

読売新聞
2024年5月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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