『僕とぼく』
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「佐世保小6殺害事件」被害者の兄2人の“その後”
[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)
2004年6月1日、長崎県佐世保市の小学校で6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで喉を切られ死亡する事件が発生した。この「佐世保小6殺害事件」から、今日で20年になる。
学校内で起こった前代未聞の事件に報道は過熱した。14歳以上だった少年院送致の年齢下限が、小学生も含む現行の「おおむね12歳以上」に引き下げられるきっかけの一つにもなり、今でも重大な少年犯罪が発生すると引き合いに出されるほどの衝撃を世間に与えた。
だが、この事件が被害者遺族にどのような影響を与えたかまで知っている方はそう多くないだろう。被害児童には二人の兄がいたが、精神を病み生活は荒れた。突如、妹が同級生に殺害され、日本中から注目を浴びることになってしまった兄弟はその後どう生きてきたのか。
二人の兄の言葉が綴られた『僕とぼく 妹の命が奪われた「あの日」から』(川名壮志・著、新潮社)を、書評家の東えりかさんが読み解いたレビューを紹介する。
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どんな重大事件でも時を経ると忘れられ、他人の記憶は薄れていく。しかし事件の当事者は違う。何年経とうが胸の中に残る。ましてや正気では受け止めきれないほどの凶悪事件の被害者ならばなおさらだ。
2004年6月、長崎県佐世保市の小学校で6年生の女子児童が同級生の女児にカッターナイフで喉を切られ死亡する事件が発生した。学校内で起こった前代未聞の事件に報道は過熱した。
だがその熱もやがて醒め、似たような子供同士の殺人事件などが起こると、過去の例として取り上げられるくらいになっていく。
10年後、新聞記者である被害女児の父親の部下が、事件関係者を丹念に取材して『謝るなら、いつでもおいで』(集英社)を上梓した。私はこの本で二人の兄がいたことを知る。ただその本で注目されたのは女児と年の近い次男のこと。長男についてはほとんどわからなかった。
本書では、同じ著者があらためてこの家族について、二人の兄が交互に語る形で綴っていく。タイトルの「僕」は長男で「ぼく」は次男。彼らは事件前、事件後、どうしたか。そして現在はどうしているのか。
二人は6歳違いで、末っ子の妹は次男の3歳年下だ。活発な長男から見れば妹は可愛いけれど、子供の頃は年の離れた弟妹を気にするより友だちと遊ぶことに夢中だった。
おとなしい次男は年の近い妹と一卵性双生児のように過ごした。妹は何でもこの兄に相談した。そのことが後に彼を苦しめる。
よその家族と少し違ったのは、母親が早くに亡くなったこと。乳がんの闘病は六年にも及び、多忙な新聞記者で家に帰れない父親の代わりに長男は母の話し相手になった。
母の死後、家族から逃れたいと長男は大学進学を理由に家を出る。事件の後、この「逃げた」ことが妹の死の原因ではないかと悩む。
二人とも事件のことは心の奥底にしまい込む。生活は荒れ、不登校になり、精神を病む。周囲とも壁を作り父親やお互いを頼ることもない。そうして年月は過ぎて行った。
緊迫した心情に触れ、何度も本を閉じて深呼吸をしなければならなかった。被害者の家族とはこんなにも苦しいものなのか。
だが終盤、二人に救いが訪れる。苦しめるのも人なら手を差し伸べるのも人なのだ。受け止めきれない悲惨な現実に見舞われた若者の心のケアについて考えさせられる、貴重な記録である。
(「週刊新潮」2019年7月11日号より)