「承認欲求モンスター」が「食レポ」と出会うとどうなるか…エリックサウス総料理長が感じた食語りの“重さ”とは

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あいにくあんたのためじゃない

『あいにくあんたのためじゃない』

著者
柚木 麻子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103355335
発売日
2024/03/21
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「承認欲求モンスター」が「食レポ」と出会うとどうなるか…エリックサウス総料理長が感じた食語りの“重さ”とは

[レビュアー] 稲田俊輔(料理人)

■成し遂げれば「英雄」だが、別の角度から見れば…

 先に一言おことわりしておきますが、食を語るといういとなみ自体は、尊くそして価値のあることだと個人的に思っています。本来は主観として個人の記憶だけに留め置かれる、あるいはせいぜい日記に書き留められる程度であるはずの「おいしさ」を、情報として公のものとする。それは実際問題多くの人々に求められているからこそ、レビューサイトもグルメ本も成立するのです。

 ジャンルによっては、食を語ることが職業として成立するに至ることだってあり、その代表的なひとつがラーメン評論家ということになるでしょう。好きなものに関して好きなように語ることがお金になるなんて、側から見ていると羨ましい仕事にも見えますが、同時に難儀この上なさそうな気もします。所詮個人の主観に過ぎない「おいしさ」ということに、普遍的な説得力を持たせなければ成立しないからです。その為に経験を積み、知識を深め、求められる情報をエンターテイメント性たっぷりに提供し続けねばならない。難しい仕事だからこそ、成し遂げれば英雄です。

 英雄は往々にして、別の角度から見ると悪鬼となってしまいます。織田信長もナポレオンもそうでした。本作の主人公もそうです。彼が世のニーズに応える為に、いやむしろ評論家としての自分の評判を維持する為に、面白おかしく書き散らしたラーメン記事は、少なからぬ人々の人生を狂わせてしまいました。ラーメン店の店主、元従業員、たまたま居合わせたお客さんなど、主人公のせいでネットに渦巻く悪意の波に飲み込まれてしまった人々です。

 彼らから見ると主人公は悪鬼以外の何者でもありません。彼らは運命に導かれるように一軒のラーメン店に集い、そして復讐が始まります。あたかも『南総里見八犬伝』のように。

■極めてリアルに描き出された承認欲求モンスターの姿

 一族の興亡を賭した復讐譚である南総里見八犬伝に比べると、ラーメン及びネット記事での炎上にまつわる恨みつらみでひとりの人間にお灸を据える本作は、一見ごくちっぽけな瑣末事(さまつごと)にも見えます。しかし昨今のネットでの炎上が巻き起こす様々な「事件」や、それに巻き込まれた人々の悲劇を目にしていると、とてもそれが「瑣末」だなんて言っていられないことも我々はよく知っています。

 作者はそんな架空の炎上事件を次々と描き出し、読者はそのあまりのリアルさに、心を痛めながらも思わず吹き出してしまうことになるでしょう。そんな中で諸悪の根源は主人公の行き過ぎた自己承認欲求にあることが徐々に明かされていくのですが、読者は彼が悪鬼であると同時に悲しきモンスターであることも知ることになります。主人公は過去の自分の様々な行いに対して、時に後悔しつつも、基本的には開き直ってそれを正当化します。その身勝手な論旨や思慮の浅さはひたすらに滑稽であり、これまた極めてリアルです。確かにこういうタイプの人はいる。身近に存在するかどうかはともかく、ネットの中には多数生息しています。

 我々は架空の炎上事件を笑いつつ、それを面白がるということはすなわち、自分自身の人格の中にもそんな悲しきモンスターが潜んでいるのではないかと、ふと不安にもなるのです。だから我々は主人公を単なる愚者として断罪できない。どこかで彼に対する救済を願って読み進めることになるでしょう。

 復讐譚の常として、復讐は首尾良く成し遂げられます。主人公の言葉をそのまま借りれば、
「お前ら全員暇かよ!! なんで人生かけて、そこまでやるんだよ」
 という、実に周到かつまわりくどいやり方で。そして主人公のこの問いかけは、読者にとってのミステリーでもあります。この復讐に、これだけの情熱とエネルギーを注ぎ込む意味は本当にあったのか。そして主人公に救済はあるのか。それはぜひ本編でお確かめください。

■間違いなくラーメンが食べたくなる読後感! でも、食後の感想は…

 ともあれ、ラーメンの佇まいや味について詳細に語られる本作の描写はあまりにも見事です。作者は密かに実在のラーメン店を営んでいるのでは、と錯覚してしまうほど。だから間違いなくラーメンが食べたくなり、思わずネットで似たようなタイプの――すなわち、複雑かつ精緻で澄み切ったスープの「淡麗系」ラーメンを探してしまいます。

 そのレビューを読み込むと、「とてもおいしい」「あっさりしつつコクがある」といったありふれた賛辞が並ぶ中、麺の相性がどうこう、コスパがどうこう、接客がどうこう、といったささやかな不満を大袈裟に書き立てているものも散見されるはず。好みは人それぞれというよりは、誰もが気分次第で褒めることも貶すこともどちらも可能である、ということのような気がしてなりません。

 ならば自分はどちらの態度を取るべきか。本作を読んだ後ならば、その選択の重さにも思いを馳せることになるのではないでしょうか。
 
 短編集『あいにくあんたのためじゃない』には、現代における生きづらさをトリッキーに解決していく、アイデアと希望に溢れた物語が並びます。その中で食べ物とそれを語る言葉は、しばしば重要な役割を担います。まこと食べ物とは、希望の光であり、また厄介の種でもありますね。

新潮社
2024年5月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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