腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて死に至る…日本各地で発生した「謎の病」を解明した人々の闘い

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死の貝

『死の貝』

著者
小林 照幸 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784101433226
発売日
2024/04/24
価格
737円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「謎の病」克服を描いた圧巻のノンフィクション

[レビュアー] 仲野徹(生命科学者/大阪大学名誉教授)


日本住血吸虫症による発育障害。左は18歳の健康者、中央は18歳の患者、右は25歳の患者(写真:『人體寄生蟲通説』小泉丹 岩波書店より。一部加工)

 腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて動けなくなって死に至る……そんな「謎の病」をご存知だろうか?

 この病は、かつて日本各地で発生し、原因も治療法も分からないことから人々を恐怖に陥れた。医師たちの奮闘により、明治半ばには原因が寄生虫であることがわかってくるが、その克服には、さらに100年近い時間がかかった。

 この謎の病との闘いを描いた一冊がある。ノンフィクション作家・小林照幸さんによる『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』(新潮社)だ。

「日本住血吸虫症」は「地方病」とも呼ばれ、地方病について書かれたWikipedia記事はそのおもしろさ、読みごたえから「Wikipedia3大文学」の一つと称されている。Wikipediaの「地方病(日本住血吸虫症)」記事の主要参考文となっている本書の読みどころとは?

 内科医から生命科学者として研究の道へ進み、現在は「隠居」として暮らしている仲野徹さんの書評を紹介する。

仲野徹・評「『謎の病』克服を描いた圧巻のノンフィクション」

 COVID-19の記憶は生々しい。2019年の秋に感染が始まり、翌年の1月には、世界保健機関が新型コロナウイルスによるものであるという声明を発表した。PCRによる検査は瞬く間に開発され、2021年にはワクチンが各国で認可された。このスピードを『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』のテーマである日本住血吸虫の研究と比較すると、医学の進歩というものがいかに素晴らしいかに刮目せざるをえない。

 話は江戸時代にさかのぼる。甲府盆地の一部、釜無川流域には体中に水が溜まって死んでいく「水腫脹満」という病気があった。備後国・福山の北にある川南村には、同様の症状を呈する「片山病」という病気があった。病気に罹る率も、命を落とす率も非常に高かった。原因はわからず、もちろん治療法もなく、住民たちは苦しむばかりだった。

 時代は明治へと移り、ようやく近代医学による研究が開始された。といっても当時のことだ、使える武器は顕微鏡のみである。おそらくは寄生虫によるものだろうと当たりはつけられたが、なかなか証拠はつかめない。そこで投入されたエースが、京都帝国大学医科大学・病理学の教授、藤浪鑑であった。

 あまり知られていないが、藤浪は、ウイルスが腫瘍―藤浪肉腫―を引き起こすことを見出した超一流の学者である。まったく独立してウイルス発がんを発見した米国のペイトン・ラウスがノーベル賞を受賞したことからわかるように、文句なしにノーベル賞級の学者だった。残念なのは、ラウスが受賞した時には、すでに藤浪が亡くなって30年以上もたっていたことだ。ウイルス発がんという超弩級の発見をしながら、寄生虫病の権威でもあったのだから当時の学者というのはすごいものだ。

 その藤浪、解剖所見から、片山病患者における新種の寄生虫卵の存在を断言する。これを受けて岡山医学専門学校・病理学の桂田富士郎教授が苦心の末、ついに「日本においてこれまで記録されていない、雄の住血二口虫」が原因であることを突き止め、日本住血吸虫と命名する。時は明治37年(1904年)、病状を詳しく記述した「片山記」が著されてから57年もたっていた。しかし、こうなると話は早い。瞬く間に、片山病も、佐賀にあった類似の奇病も、福岡で「マンプクリン」と呼ばれていた腹水が溜まって死ぬ病気も同じ寄生虫によって引き起こされることが明らかになっていった。

 次なる大問題は、その感染経路である。水が関係しているらしいことから、最初は飲用水が問題視された。しかし、対照実験のお手本のような美しい研究から、経皮感染であることが明らかになる。画竜点睛として、人に感染するには中間宿主として死の貝、ミヤイリガイが必要だということが、その淡水に棲む貝に名を残す九州帝国大学医科大学・衛生学教授の宮入慶之助によって発見される。このあたりが前半のクライマックスだ。

 ここからは、治療法の開発、薬剤の散布や水路のコンクリート化によるミヤイリガイの駆除、感染地域での啓蒙活動、中国にもあった日本住血吸虫症への医療援助へと話は進む。1955年に訪中した日本からの医学団に周恩来が助言を求め、のちに毛沢東が大いに感謝したという話や、当時の中国の厳しい医療状況には隔世の感を抱かせられる。また、ミヤイリガイが生息する環境をなくしてしまえばいいのだから、稲作を果樹園に転換することも有効な対策になる。これが、甲府盆地でブドウ栽培が盛んになった理由のひとつだというのには驚いた。それだけ日本住血吸虫症が地域に与えた影響は大きいのである。

 片山記が作成されてからだけでも一世紀を優に超えるという壮大なストーリー、それが実に手際よくまとめられている。そう、一世紀以上だ。ウイルスと寄生虫は大きく違うので一概に比較することはできない。しかし、新型コロナウイルスワクチンを待ちわびていた頃を思い出してほしい。ずいぶんと待たされたような気がするが、わずか1年あまりでしかなかった。それと比べると、日本住血吸虫症の感染地域における人たちの苦しみや病気を退治したいという思いがいかに長かったかがわかる。

 藤浪、桂田、宮入といった後世に名を残す有名研究者たちだけではない。他にも数多くの研究者や市井の医師たちが心血を注いだ。さらには患者たちを含むさまざまな立場の人たちが力をあわせたからこそ、その原因が究明できたのだ。そして、撲滅には、薬学や工学といった他分野の力、そしてここでも、感染地域における一般の人たちの協力が必要だった。対象地域が限定されていたとはいえ、国を挙げての総力戦が、本邦での日本住血吸虫症の撲滅を成し遂げたのだ。ことさらに日本はすごいなどと強調するつもりはない。しかし、日本住血吸虫の発見と撲滅は、間違いなく近代国家としての日本が取り組み、大成功を収めた誇るべき業績のひとつである。ひとりでも多くの人に、この本を読んで感動を共にしてもらいたい。

新潮社 波
2024年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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