「読めば読むほど深い。すごい漫画」矢部太郎の新作を『世界は贈与でできている』の近内悠太が語る

対談・鼎談

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プレゼントでできている

『プレゼントでできている』

著者
矢部太郎 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103512158
発売日
2024/03/27
価格
1,210円(税込)

お金では買えないプレゼントって?

[文] 新潮社

矢部作品のフェアネス


矢部太郎さん

近内 今のお話からも分かりますが、矢部さんは、華やかな芸能の世界に長くいらっしゃるにもかかわらず「自分の中の大切なもの」が揺るがない人なんだな、と。でも、だから『大家さんと僕』がよく売れたのですね。

矢部 え、どういうことですか?

近内 『大家さんと僕』しかり今回の新刊しかり、矢部さんの漫画は、何か懐かしい感覚を呼び覚ましてくれます。

矢部 懐かしい感覚、ですか?

近内 そう。矢部さんが遭遇した出来事や経験に似たものが、自分の中にもあった気がする感覚、とも言えます。大家さんの「自分が大切だと思うものを大切に生きる」と繋がる話ですが、例えば風邪をひいたとき親が寝ないで看病してくれた思い出があるとします。小さい頃は当たり前だと思ったけれど、親と同じ年になってみるとその大変さがわかるし、何より、「自分の大切なものを大切にしてくれる誰かがいた」というあたたかい記憶が、矢部さんの作品に触れると蘇る。それは矢部さんが、大家さん、先輩、ご両親、ご友人、好きな漫画や本や映画など、これまでの人生で受け取った様々なものを「受け取った」と意識し、漫画に描いているからです。贈与って、あげた人はあげたことに気がついていなかったり覚えていなかったりすることが多いので。

矢部 でも、もらった方がもらったと思えば、もらったことになっちゃう。

近内 そうです。僕はそれを「想像力」と呼んでいるのですが。

矢部 確かに! その生き方や考え方など、大家さんからすれば、僕に「あげた」とは思っていないものを、僕は勝手にもらったと思っている。

近内 それに矢部さんはこうして漫画を描くことで、大家さんからの「プレゼント」をまた別の誰かに託そうとしている。まるで漫画『ONE PIECE』のルフィがシャンクスから受け取った麦わら帽子を手に、自分があの時受け取ったものが何かを探す旅をしながら、その途上で出会う人々に今度はルフィ自身が様々なプレゼントをしていく……そんな印象を抱きました。

矢部 僕がルフィで、大家さんがシャンクス(笑)。でも、生きるってこと自体がきっとそうなんですよね。大家さんが亡くなったとき、もう何もお返しができなくなってしまった……とどこか罪悪感のような気持ちを抱いたのですが、僕が受け取ったものを、また別の誰かにプレゼントしていけば良いわけで……。今作を描くことでそれに気がつけました。

近内 矢部さんのように生きてきた中での様々な「プレゼント」に気がつくと、自分も誰かに何かを渡せるかもしれない、何かを渡したいと思うことができる。自分の役割や居場所を感じられると、きっと、生きている心地がするはずなんです。

矢部 生きている心地……。

近内 そうです。託された、託してもらったという感覚が、大袈裟ではなく生きるエネルギーに変わると僕は考えています。この「生きている実感」を抱けない人が今結構多いので、この『プレゼントでできている』も多くの読者の心を動かすと思いますよ。それと、先ほど「罪悪感」という言葉がありましたが、贈与には多少なりとも負の部分もあるということも、僕が自著の中で伝えたかったことの一つです。最初に話に出た「供養」というのもまさにそれに関する話で、「プレゼント」を受け取ることよりも、手放すことの方が難しいから、この漫画はそのヒントにもなるんじゃないかな。

矢部 僕も漫画を描き終えて、もらった「プレゼント」たちを僕なりに供養できた気がしています。

近内 それに矢部さんは、「プレゼントが素晴らしい」とは決して描いていない。それは実に誠実で、実にフェアだと感じました。プレゼントをたくさん受け取りすぎて苦しい人にも、逆に、受け取れていないと感じて不安な人にも、「そういう思いを持っていて当然なんだ」と爽やかに肯定してくれる矢部さんの優しい眼差しが、この漫画にはある。しかも、最後には「許す、許される」というテーマについても言及していましたよね。「許す」って一番の贈与で、ある意味、難しいけれど誰にでもできる贈与なんです。シンプルなタッチで読みやすいのに、読めば読むほど深い……すごい漫画ですね!

矢部 僕自身がたくさん許されてきたから描けたことなので……(笑)。今ふと気がつきましたが、そういえば、カバーの僕の顔――プレゼントの紐を解こうとしているその表情は、別に喜んでいないですね……。

近内 確かに「どうしようかな」と少し躊躇(ためら)っている。嬉しいけど、ちょっと困るという感情が出ていますね。まさにこの作品にしっくりくる絵です。

矢部 良かったです~! カバーはかなり迷ったので近内さんのお墨付きを頂けて、不安が吹き飛びました。これもある種の「プレゼント」ですね!

近内 あげた方にそのつもりはなかったですが(笑)。

 ***

近内悠太(ちかうち・ゆうた)
1985年神奈川県生まれ。教育者・哲学研究者。2020年に刊行した初の著書『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』がロングセラーとなる。2冊目の著書『利他・ケア・傷の倫理学 「私」を生き直すための哲学』が3月27日に刊行された。

矢部太郎(やべ・たろう)
1977年生まれ。お笑い芸人・漫画家。1997年に「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。初めて描いた漫画『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。他の著書に『大家さんと僕 これから』『「大家さんと僕」と僕』(共著)『ぼくのお父さん』『楽屋のトナくん』『マンガ ぼけ日和』がある。

新潮社 波
2024年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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