『紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」』
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呼応する“物書きのネイチャー”
[レビュアー] 酒井順子(エッセイスト)
千年の時を超えて呼応する、フィクションライターふたりの魂
「紫式部日記」は、藤原道長の邸宅である土御門第の描写から始まる。道長の娘で、一条天皇の中宮である彰子が、初めての出産を控えて実家である土御門第に退出しているのであり、紫式部は彰子に仕える女房なのだ。
やがて彰子は、男子を出産する。それは道長にとって、自分の外孫がいずれ天皇になる可能性を示す出来事であり、道長の栄華はここに始まった。……というわけで、「紫式部日記」は道長の命で書いた記録文学ともされている。
『紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」』を訳した“紫式部本人”は、「紫式部日記」の要点の一つ目は「記録」であり、もう一つは「その日その月その年の、グルーミィさのちかさととおさ」とするのだった。誰からのオーダーかはわからねど、とにかく「記録」という役割は認識しているのだ。
が、本書は彼女が抱くグルーミィさをクローズアップ。「記録」と共に感情のうねりを描き出すという姿勢のあまりの自由さに、読者は気づかされる。
紫式部は、当時としては遅い結婚をしたものの、三年もしないうちに夫が他界。その後、女房として宮仕えを始めた紫式部の胸に満ちる陰鬱、感傷は、道長の栄華と同様に、彼女が後の世まで残したいことではなかったか。
「紫式部日記」は実際、湿り気の多い感情に満ちている。才に溢れ、他人のことが見えすぎてしまう女の辛さ。そんな女が宮仕えをするからこそ溢れる批判的精神。次第に宮仕えに慣れてしまう自分への嫌悪。……そんな自身の感情を、彼女は記す。
目を見張ったのは、「紫式部日記」の中で「消息文」と言われる部分に、紫式部本人が与えた解である。日記の一部には、「はべり」が多用される、つまりは読み手に直接語りかける手紙文のような文章になっている部分がある。そこでは主に、他の女房達への批評が記されているのだが、それは、紫式部に強い不快感を与える手紙を書いたとある人物に対する、当てつけのようなリベンジのようなもの。……という紫式部の告白を読んだ時、私の背筋は思わずぞくりとした。
それは「物書きのネイチャー」なのだと、紫式部本人は書く。ある作品に魅せられたり、反対に強い不快感をおぼえた時、物書きは「おのずと反応」する。その反応として紫式部は、“手紙というのは、こうやって書くのだ”とその人物に示してみせたのだ、と。
その「解」の背景に存在するのは、古川日出男が紫式部に抱く共感と敬愛なのだろう。最後に付される「自作解題」には、古川がいかに紫式部に救われたか、そしてその救済が、いかに『女たち三百人の裏切りの書』につながっていったかが記されるのであり、本書にはそのシンパシイが浸透しているのだ。
フィクション・ライターとしての魂を同じくする二人が、千年の時を経て出会ってできたのが、本書。その協働は、自身が大河ドラマの主役になることよりも、紫式部にとって嬉しいことのような気がしてならない。