遺伝がもたらす優劣にどう向き合うべきか? 「親ガチャ」問題を社会学者とサイエンス翻訳家が考える

対談・鼎談

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遺伝と平等

『遺伝と平等』

著者
キャスリン・ペイジ・ハーデン [著]/青木 薫 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/生物学
ISBN
9784105073510
発売日
2023/10/18
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

遺伝学に起こっている「革命」

[文] 新潮社

誰もが大量に引く「遺伝くじ」

大澤 この本の原題は「The Genetic Lottery」、「遺伝くじ」ですよね。私たちは誕生時に、すでにいろんなくじを引かされています。

青木 20世紀後半の日本に生まれるか、戦下のアフガニスタンか、多くのくじの結果を合わせると、「自己責任」などと言える部分はほとんど残らない。くじの結果はその人の手柄でも落ち度でもない、とハーデンは繰り返し言います。ですが、それはひとつの解釈です。同じ科学の成果を見て、「人間には生まれもった優劣がある」という優生学的な解釈をする人もいる。

大澤 科学は、どうすべきかは教えてくれませんからね。

青木 ただ、大澤さんなら科学と社会の関係、ハーデンの抱く危機感を解読してくださる気がしています。
 実は、この本を翻訳している間に、何度も大澤先生を思い浮かべました(笑)。数多いご著書の中でも『社会学史』(講談社現代新書)という一冊で、社会学というのが、近接の学問はもちろん、社会や人間全般に関わるもので、社会史全体をとらえておくことは全ての学問にとって大事だと教えてもらいました。平易な言葉で大きな教養が頭に入ってくる喜びもある本ですよね。

大澤 そうでしたか。ありがとうございます。社会秩序がいかにして可能かというのは、社会学の分野の、固有の主題です。この主題とともに社会学は成立したとも言える。ですが、その歴史はたかだか二百年。哲学や自然科学の歴史を考えると、若い学問です。

青木 未来の社会秩序はいかに可能か、訳しながら何度も考えました。

大澤 人間を特別にとらえる宗教的な世界観は、何らかの意味で人間仕様につくられていますが、自然科学は、基本的には人間中心主義を超え、離れることで成立します。人間という主体をどう組み込むかという問題は、社会科学や哲学の援軍を必要とする。だからこの本は、社会科学的な問題と自然科学的な問題の、理想の結婚と言えますよね。

青木 そうなると思います。社会を考える上で必要な情報がある。ただ、勘違いしやすいところですが、科学が教えてくれる自然界の膨大な情報に対して、私たちがニュートラルに情報を選べるかというと難しく、なにかしら主観や意図が混じりこんでくるんですよね。

大澤 そう、そして、とくに遺伝学は、社会や政治との付き合いに一度失敗しているから、お互いに距離をとりすぎているのかもしれない。本来は正しく使われれば、「良き社会」に大きく貢献するはずです。
 とはいえ、「良き社会」を考え始めるとたいてい、ロクなことにならない。哲学者の市井三郎が『歴史の進歩とはなにか』(岩波新書)で喝破したように、「進歩」に見えたのにマイナスだった、ということが一般的です。人間の価値観だってゆらいで一定とはいえません。合意が簡単には生まれない世界では、「中途半端な良き社会」になると不幸な人がむしろ増える。経済的に豊かなら幸せなはずなのに予想外に不幸だったり、「自己責任」の強調が弊害をもたらしたり、社会主義が典型ですが、自己破綻を起こしがちです。

青木 まったくその通りです。

大澤 でも、市井は、ひとつだけ、進歩を意味する消極的な条件があるとしていて、僕も賛成です。不条理な――つまり自分の責任によらない偶然の――不幸や苦痛がより少ないこと。ぼくらはみな、あなたの責任ではないことであなたが不幸になることが、できるだけ少なくなるように願っている。

青木 遺伝学の成果がそういう社会の実現に役立ってほしいです。

大澤 偶発的な災害の被災者を救いたいように、遺伝のことで不幸になる人がいたらできるだけ助けたい。くじに外れただけで不幸になる人を救うことができる社会の方が良いのではないか。

新潮社 波
2024年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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