一穂ミチロングインタビュー「コロナ禍は私たちにとって『箱庭の洪水』だった」

インタビュー

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ツミデミック

『ツミデミック』

著者
一穂ミチ [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334101398
発売日
2023/11/22
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

コロナ禍は私たちにとって「箱庭の洪水」だった 

[文] 光文社

兼業作家をやめない理由

――『ツミデミック』で、書いていて印象的だった作品はありますか?

一穂 「憐光」は意外な結末に至った小説でした。書き始めた時、主人公の女の子が変わってしまった故郷を見てしんみりするだけなのかな、と思ってたんです。でも結末が意外な感じで終わりましたね。書きながら、あらあら~そんな人出てくるの~と。

――結末は考えずに書き始めるんですね。

一穂 うーん、六割くらい考えたところでもう書き出しちゃいますね。頭の中で揉(も)んでいても、オチを思いつかないことはよくあるんです。でもそうしているうちに物理的に締め切りが迫ってきちゃう。締め切りを過ぎてしまうと「途中まででいいので見せてください」と編集者の方に言われるので、とりあえず途中まででもいいから出さないといけない。だからとにかく書き始めちゃいます。書いているうちに物語が転がり出すと、勝手に着地点ができてくることがよくありますね。登場人物が想定していなかったことを言ったりし始めると「あ、今回もなんとかなりそう」とほっとします。

――キャラクターが動き始める、と。

一穂 いや、でもまあ書いてない時も原稿を抱えてる間は原稿のことをずっと考えてはいるので、無意識のうちに頑張って自分が考えているんだと思います(笑)。火事場の馬鹿力みたいな。その結果、思いがけない結末が生まれるんじゃないですかね。

――物語への工夫をずっと考えているんですね。

一穂 まあ、私が書いているのはエンタメといいますか、大衆小説の枠組みだと思うので。明確な起承転結をつけようとは思っております。読むのは一見起伏のない静かな小説や説明しづらい小説も好きなんですけれど。

――どのような作家の方がお好きなのですか?

一穂 川上弘美(かわかみひろみ)さんの小説が好きです。あと、海外だとイーユン・リーやハン・ガンが好きですね。好みの小説は自分とかなり遠いところになるので、影響受けたくても受けられないような気がしてますけど。

――自分の小説は好みの味そのもの、ということはないのでしょうか? 読者としてはすごく近いものを感じるのですが……!

一穂 だったら嬉しいのですけれど。自分の小説って、自分で作ったご飯と一緒なんですよね。めちゃめちゃおいしいわけではないけども、味付けを自分で把握していて、慣れ親しんだ味のようなものです。好みというより、味付けが分かっている感じですねえ。といっても刊行から数年経たないと自分の小説は冷静に読めないのですが……数年経って読むと、「まあいいじゃん」と思えてきますね。

――今回は短編小説集ですが、長編小説を書かれる時と違いはありますか?

一穂 短編のほうが取り掛かりやすくて、楽ですねえ。長編だとダメだった時の損失が大きいんですよ。直すにしても、長い物語のどこから直せばいいか分からない。でも短編だとおしまいもすぐ見えるし、精神的に楽です。やっぱり長い話を自分自身どうなるんだろうなと思いながら書くのは、結構きついものがあって。「最後の最後までいって、どうにもならなかったらどうすんだろう」と思いながら書いています。

――それでもこれだけ長編小説も短編小説も書かれながら兼業作家というのは驚異的な仕事量だと思うのですが、今後も兼業作家でいらっしゃるつもりなのでしょうか。

一穂 基本的にはそのつもりです。会社をやめる理由もなくて。刺激をもらえるのもありますし、なにより会社を辞めたら私は果たして真面目に小説を書いて、月給分の働きをするんだろうか? と言われると、しないなあと思うんですよ。むしろこの時間には絶対会社行かなきゃみたいな区切りがあるほうが書ける。会社にいる間、小説を書きたくても書けない、そのほうが切り替えができるかなと。

――一穂さんが会社勤めもされていることが驚きなのですが、いつ書かれているのですか? 読者はみんな「一穂さんって小説いつ書いてるんだろう」と思っている気がします。

一穂 私もそう思ってます。なぜ間に合ってしまうのか、毎度、謎です。まあ、いつもどうにか帳尻を合わせて、締め切りに向けて書いているんですよね。ちょくちょくご迷惑おかけしたりしつつ。でも、原稿ができあがってみると私自身「なんで間に合ったのかわからない」といつも思っています。

生活を描く、なんでもない人生を描く


――小説を書くのは、一穂さんにとっては日常の楽しみなのでしょうか。

一穂 うーん、そんなことはないです。もうお金いただく仕事としてやっちゃうと、楽しいという感覚にはならないですね、うん。思うように書けたなと思う時なんてほとんどないですし。大半の時間はうんうん唸って、文章や展開に頭悩ませています。だから依頼がなかったら書かないタイプです。零細工場が発注と納品を繰り返しているような感覚です。編集者の方から発注をいただいて、「こういうお題で」「こういうのが読みたいです」と言われて、アイデアを膨らませるのは楽しいんですけどね。でもやっぱり書いている最中は苦しいことも多いかなと。未熟ゆえに。

――読者としては一穂さんが仕事として小説を書いている様子と、一穂さんが書かれるキャラクターたちが生活するために仕事をしている様子って、なんだか近しいものを感じます。

一穂 あ、そうかもしれない。あんまりバリバリ仕事してる人のことを、想像できないのかな。学生の頃読んだ向田邦子(むこうだくにこ)さんのエッセイにあったエピソードを私すごく覚えていて。向田さんがシナリオを書く時、例えば主人公の部屋のはしっこに「夏物」と書かれた段ボールが置いてあるとか、そういうディテールを大切にしている、と書かれてたんです。その話がすごく印象的で、私もやっぱり細かい生活感を大切にするようにしています。

――生活を描く上で、こだわっているところはありますか?

一穂 逆説的ですけど、設定を作り込みすぎないことかもしれない。その人の暮らしを一緒に眺めている気分でいると、ふっと好きなものや嫌いなものが見つけられることがあるんです。たとえば靴下はどっちから履くか、とか。それは例えば会社の同僚のちょっとした癖を見つけてしまう時と同じだと思うんです。最初から設定を作り込むより、その人の暮らしをなんとなく追っかける感じでいるほうが、生活を描ける気がします。だから最初は年齢と性別と、なんとなくの性格と職業くらいしか決めずに書いていきますね。

――『ツミデミック』も、やっぱりこのコロナ禍のような大きな話のなかで、UberEatsや持続化給付金の話みたいな生活に根差したエピソードが印象的です。

一穂 なんでもない人の、なんでもないはずの人生のワンシーンの方が書きやすいんです。小さい出来事の方が想像が及ぶので。

――給付金にしてもデリバリーにしても、一穂さんは常にコロナ禍の身近な私たちの物語を描いてくれている気がします。

一穂 私自身が自分の生活から遠いものって想像できないんです。いや、とんでもないスパイとか書けたら楽しそうですけどね。でも自分から遠すぎるものは想像ができないんですよ。私は半径十メートルくらいのところで、ずっと目を凝らして、小説を書いている気がします。

現実と小説の狭間で

――個人的に2020年頃は、コロナ禍を題材にした特集や小説がわっと増えた印象だったんです。でも最近はもう「コロナ禍なんて意外と忘れられていくのかな?」と思うほど、コロナは過去の話になってきたように感じていて。少なくとも出版界においては。だから今回、こうして一穂さんがコロナ禍と向き合っていたことがとても新鮮でした。

一穂 私自身『ツミデミック』の小説を読み返していると「あ、コロナ禍の最初の頃って本当に不安だったな」と思い出しました。覚えてます? コロナ禍の最初のほうって、どこかのエレベーターに爪楊枝(つまようじ)が置かれていたんですよ。ボタンを素手で触らないために、爪楊枝で触れと(笑)。今は笑っちゃうし、マスクが手に入らないとかも何だったんだと感じますよね。それでも当時は、本当に切迫していた。人に触れるのが悪という感覚があった。でも今から生まれてくる子たちには、そんなこと昔話ですよねえ。街中静まりかえって誰もいなかったんだよ、世界中そうだったんだよ、って嘘みたいな数か月があった。そのことを小説に書くと覚えておけるなという感覚があります。

――小説は一穂さんにとって、創作であるとともに、記録という側面もあるのでしょうか。

一穂 やっぱり現実が色濃く投影されているので、読み返すと自分の日記みたいなところがあります。ちょっとした言葉や展開に、自分が忘れてしまいそうなエッセンスを書き留めている。私にしか分からない形ではありますが、誰かに対して抱いた感情とか、忘れてしまいそうな記憶を書いているんです。

――フィクションの世界だけではなく、現実の世界も反映した物語を一穂さんは描き続けていますね。

一穂 やっぱり現実を生きている人間が書いている以上、何のジャンルを書いても、たとえフィクションであっても完全に現実と切り離すことはない、と私は思っています。小説もやっぱり、現実を反映するもの。そう考えて、小説を書いていますね。

――『ツミデミック』に関して、読者の方にメッセージがあればぜひお願いします。

一穂 ひょっとしたらコロナ禍初期の緊迫感なんて、みなさんもう思い出したくもないかもしれないですけれど。でもあの三年間を一緒に追体験するような気持ちで、「みんな大変だったね」「みんな必死だったよね」ということを私は分かち合いたいです。あまり人に言えない、否定されるかもしれない感情も分かち合えるのが、物語のいいところだなと思うので……誰にも言えない、だけどたしかにあったコロナ禍の記憶を、ぜひ一緒に噛み締めていただけると嬉しいです。

聞き手:三宅香帆

光文社 小説宝石
2024年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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