『イラク水滸伝』
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舞台は混迷極まる中東・イラク 向かうは古代から続く元祖梁山泊!
[レビュアー] 東えりか(書評家・HONZ副代表)
約480ページ。もはや本の厚さごときでは驚かない高野秀行の新作冒険譚の舞台はイラクの南東部、ティグリス川とユーフラテス川の合流地点に四国ほどの大きさで広がる巨大湿地帯〈アフワール〉である。
現代でも謎に満ちた民族が生活し、迫害された人々が逃げ込むという、迷路のように水路が入り組む世界遺産。著者は2017年にこの場所を知り、「行ってみるしかない」と決意した。発想の突飛さはデビュー作の『幻獣ムベンベを追え』のころとあまり変わっていない。
混迷を極める中東への冒険はハードルが高い。だがさすが世界各地の“謎”に挑んできた冒険作家。周到な調査や丹念な準備を重ね、信頼できる相棒を得て飛び立つこととなる。
同行したのは「世界の川をすべて旅する」をライフワークに掲げる山田高司。高野が師匠と崇める林業専門家であり環境活動家だ。彼が魅せられたのがアフワールに浮かぶ船だった。その船を現地の船大工に作ってもらおう、という大きな目的ができた。カバーにはご機嫌な顔で船をこぐ高野と山田の姿がある。
人脈を築くことに天才的な才能を持つ高野は日本国内の数少ないイラク人を探し当て、彼らの強力なネットワークでじりじりと前進していく。
歴史上、レジスタンス的な湿地帯の代表といえば水滸伝の砦「梁山泊」だ。アフワールの発祥は更に古代に遡る。ならば仲間はみな英傑だ。出会うべくして出会った現地の主要人物が宋江、盧俊義、呉用に本当に似ているから不思議だ。
足掛け6年の取材と冒険は、イラクの治安、長期滞在の難しさ、新型コロナ禍、重要人物の大病などで大きく遅れた。だがその間の机上の調査で、古くから残る布文化に出会えたのは怪我の功名であったと思う。
たった一人の好奇心から始まった冒険譚は世界史、民族紛争、地政学など多様な角度からイラク湿地帯を俯瞰した貴重な資料となった。