『ハンチバック』
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無知で傲慢な社会への異議申し立てかもしれない
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
いきなりぶん殴られたような重い衝撃がくる。有無を言わさず胸元に突きつけられた刃の鋭さを保ちつつ、同時にユーモアが冴えわたっているのがすごい。
井沢釈華は四十代の女性で、ミオチュブラー・ミオパチーという遺伝性筋疾患のため背骨が湾曲して右肺が押しつぶされた状態にある。両親は亡くなり、彼らが一人娘のために遺したグループホームの一室で介護者の手を借りて生活している。
小説の冒頭はハプニングバーの潜入記で、取材せずネット上の情報を切り張りしたいわゆる「コタツ記事」を釈華が書いているという設定だ。パソコンや iPhone で外の世界とつながっている彼女の、「妊娠と中絶がしてみたい」というツイートを男性ヘルパーの田中が読み、釈華は田中にある取引を持ちかける。
書くことが生きることでもある釈華は、言葉の選択に厳格で、揺るぎがない。「息苦しい世の中になった」というヤフコメ民や文化人の嘆きを目にすると、「本当の息苦しさも知らない癖に」と毒づく。紙の本を読むことは負荷がかかり身体の健常性が要求されるが、無知で傲慢な「本好き」はその特権性に気づかない、という指摘には、おっしゃるとおりです、と頭を下げざるをえない。
「妊娠と中絶がしてみたい」と釈華が言うのも、性的な体験を持つことへの憧れという以上に、障害を持つ可能性がある胎児を中絶して当然だとする社会への、これは異議申し立てなのだと思う。
冒頭のコタツ記事と呼応するように、最後にもう一人の視点人物が登場する。本作が文學界新人賞を受賞したその選考会で、小説として弱くなると選考委員から再考を促されていたが、単行本でも変わっていない。書くことで世界をどのようにも変容させられる、当事者性を逆手にとったこの展開は、著者にとって変更できないものだったのだろう。
第一六九回芥川賞受賞作。