『トラスト―絆/わが人生/追憶の記/未来―』
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扉を開くたびに発見がありイメージも変わるピュリッツァー賞受賞作
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
構成の完璧さに圧倒される。
「絆/わが人生/追憶の記/未来」と、割とありふれた感じの題のついた、形式も、作中での書き手も異なる四つの文章が、こんな風に見事に小説としてつながるとは。
最初の「絆」は、一九二〇年代のアメリカで誰もが知る、成功した金融家夫妻の物語だ。孤独な男女が結婚によって結びつく。大恐慌の際も財産を増やすほどの成功を生み出すが、妻は精神を病んで、治療の甲斐なく死んでしまう。
後に続く「わが人生」は、「絆」とは似ても似つかない、いかにも経済人の自伝といった文章で、ところどころメモが挟まれ、どうやら書きかけらしい。「絆」が1937年に書かれたベストセラー小説で、モデルとされたアンドルー・ベヴルが小説に不満を持ち、書き直しを意図していることも次第にわかってくる。
扉を開くたびに発見があり、それまでに読んだ文章に抱いたイメージもがらりと変わってしまう。「追憶の記」と「未来」がどう続くかはこれから読む人のために説明を避けるが、たったいま読んでいる文章によって、前に置かれた文章が浸食され、形を変えていくような、不思議な読書体験が待っている。
語り手は、書くことによって意図的に新たな世界を立ち上げようとする。「反転」がひとつのキーワードだ。「追憶の記」の語り手の父親はアナーキストの植字工で、革命や印刷が世界を「反転」させるように、それまで見えていた人間の姿ががらりと変化する瞬間が何度となくある。
タイトルの「トラスト」は、金融用語であり、人と人との信頼のことでもある。最後の「未来」までたどりついた読者は、そこに記された、固有名詞の多い、詩的な断片のような文章から、ひとりの女性の本当の姿を思い浮かべることができるはずだ。見知らぬ誰かに思いを手渡すことへの、作者のゆるぎない信頼を感じる。ピュリッツァー賞受賞作。