缶ビールを冷やし、テントに荷物を残したまま忽然と消えた男性の行方……捜索を打ち切られた遭難者が家族の元に戻るまで

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「おかえり」と言える、その日まで

『「おかえり」と言える、その日まで』

著者
中村 富士美 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103550112
発売日
2023/04/13
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

遭難者を発見する“だけじゃない”ドキュメント

[レビュアー] 中江有里(女優・作家)

 本書で紹介される事故は実際の遭難ケース。いずれもプロファイリングが遭難者の発見につながっている。

 たとえば六十代男性Mさん。ご家族から見せてもらった登山中の写真のMさんの両手には「ストック」が握られている。手を使って登るのではなく、難所の少ない一般登山道を登るタイプ、と推測した。

 Mさんが真面目な性格であることに加え、地元の方から山頂を示す看板が風でズレていた、という情報を得て、場所を絞り込んでいったところ、ご遺体が発見される。一枚の看板が引き起こした悲劇であった。

 六十代男性Kさんの場合、頻繁に登山するKさんが残した行動計画書を元に捜索。当初、警察の捜索では見つからずに打ち切りとなっていた。Kさんはテントに下着を干したまま、近くの沢で缶ビールを冷やしたまま、忽然と消えた。

 消えた、と書いたが、人間が跡形もなく消えはしない。

 ご家族からKさんのことを聞き取るうちに、だんだんと人物像が浮かび上がってくる。そして「遭難者の視点から山を見る」ことから、ご遺体の発見へとつながった。

 好きな山で命を落とした遭難者たちは、いずれも何らかの痕跡を残している。本書はミステリーではなく、実際に起きた事故だ。予定調和な痕跡とも違う。

 繰り返すが、誰にも発見されぬまま亡くなった遭難者の孤独は想像しがたい。そして生死不明の遭難者を待つご家族も辛い。何とかして見つけたい捜索隊の気持ちと、見つけられるのを待っている遭難者たちの気持ちは通じるのではないか……そう思う出来事がいくつも綴られる。

 山でなくても、人間は突発的に死ぬことがある。安楽死、自死を除けば、誰も自分の死をコントロールできない。

 自力で帰れなくなっても、待っていてくれる家族の元へ戻れる。この奇跡のような展開はきっと偶然ではない。

「よく帰って来たね」「おかえり」というぬくもりある声が、聞こえてくるような一冊だ。

新潮社 波
2023年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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