『話を戻そう』
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幕末佐賀ミステリへの契機
[レビュアー] 竹本健治(作家)
もちろんそもそもの発端は二〇一四年三月に佐賀に転居したことだが、もっと直接的な発端は、翌一五年五月からカミさんが主催ではじめた連続講座「佐賀学」だった。いろんな専門家に講師になってもらい、月に一度、六回ほどのペースで開く講座である。
九州陶磁文化館の前館長・現館長にそれぞれ有田焼・唐津(からつ)焼について、武雄(たけお)市歴史資料館学芸員の川副義敦(かわそえよしあつ)氏に佐賀・武雄の歴史について、村岡(むらおか)総本舗社長で、菓子文化の研究家でもある村岡安廣(やすひろ)氏にシュガーロードについて学ぶといった具合だ。ほかにも九州大学河川工学教授の島谷幸宏(しまたにゆきひろ)氏には、江戸初期の治水の天才・成富兵庫茂安(なりどみひようごしげやす)の功績を、佐賀大学生物学准教授の徳田誠(とくだまこと)氏には佐賀の生き物について学んだりと内容もバラエティに富み、いずれも楽しかった。コロナのせいでしばらく中断したが、二二年末から再開している。
ともあれ、なかでも川副義敦氏による歴史の講座には、幕末の佐賀がいかに蘭学吸収に邁進(まいしん)し、当時の日本のなかで図抜けた近代化を実現していたかに眼を見開かされ、素直に佐賀スゲーと驚嘆したものだ。
そして自分でもいろいろ調べてみたところ、その近代化の中心的な機関であった「精煉方(せいれんかた)」の主要メンバーに、世に言う「からくり儀右衛門(ぎえもん)」がいたことを知るに至って、これはもう書かない手はないなという気持ちになった。たまたま日本初の翻訳ミステリである『和蘭美政録(オランダびせいろく)』のことを調べていたので、これを絡めようというのも自然な発想で、探偵役には儀右衛門=田中久重(たなかひさしげ)の孫を持ってくるのがいいだろうと、どんどん話の枠組みも出来あがっていった。
結果として、注釈小説とでもいうべき一風変わったものになったと思うが、どうか注釈部分も読みとばされず、一体のものとして楽しんで戴ければと祈るばかりである。