日常会話はなぜ成り立つのか? 「究極のフリースタイル」である言語を考える【いとうせいこう×ライムスター宇多丸・対談】

対談・鼎談

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言語はこうして生まれる

『言語はこうして生まれる』

著者
モーテン・H・クリスチャンセン [著]/ニック・チェイター [著]/塩原 通緒 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784105073114
発売日
2022/11/24
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

普段の会話こそ究極のフリースタイル!

[文] 新潮社


ライムスター宇多丸さん

トラップの流行に見る「土着」と「地元」

宇多丸 トラップは完全に「それからどした!」の世界ですもんね。なんならそっちがメインなくらい。

いとう そうそう。単独でラップしない。「俺が持ってる車」って言ったら、仲間たちが「超かっこいいぜ」とエンジン音の真似を出してくるとかさ。今若い子に聞いても、「休符怖くないっすね」って言うもんね。それがもう一番変わったことですよ、この数十年の間に。逆に言うと民謡はいったん忘れ去られたんだね。だからこそ今、民謡クルセイダーズとか俚謡山脈がかっこよく聞こえる。ひとめぐりしたんだよ。

宇多丸 僕らはその土着的なリズムからいかに脱するか、海外の先進的な文化をどう日本に合うかたちで根付かせるかっていうことに挑んでいた世代。だから、どちらかと言えば、さっきも出た文語的な発想のラップだったとは言えるかもしれない。ただ、文明開化のためには、いったんはそういうプロセスを経るしかなかったんですよね。

いとう そうね。それが今は、USの奴らもある意味、土着的な音楽をやってくるから。ブラックピープルの中にあるラテン出自であったりする感覚が出てきた。トラップを聞いたときは、完全にジャマイカの乗り方じゃん、レゲエセンスじゃんと思った。有色人種たちのリズム共同体みたいなもんがあるとさえ僕には見えちゃう。日本の民謡もその中にある。

宇多丸 確かに、ヒップホップの中心地がどんどん南部の方に行って、日本人の目から見ても、言っちゃえば田舎っぽい、泥臭いものになっていって。でも、それがどんどんシーンを席巻していった。

いとう 最初の頃のラップって都会のものというイメージだったじゃない。それがものすごく小さな都会になっていくと、結局田舎の中のちょっとかっこいい人っていうふうになるわけよ。それが都会っぽいということだから。日本にもあるような「いや、地元でまったりっすよ」の思想が世界のヒップホップを変えて、日本でもそういうヤンキーの子たちがヒップホップしか聞かないみたいなことになっていくのは当然のこと。なんだけど、そのときに宇多丸とか俺はどこにいればいいんだっていう話(笑)。位置取りの問題だよ、これは。

宇多丸 たしかにそこは考えちゃいますけど。ただ、この本にあるように、その人がその時に立っているコミュニケーション空間の中で、刻々と生成されてゆくものこそが言語なのだとしたら、僕はある種最初から「やっぱり地元」な皆さんと同一の場所にはいないのだから、それがトレンドだからというだけで追いかけてみたところで、フェイクなものにしかならないわけで。あと、僕はもともとの思考自体が文語的なタイプでもある。書物から得た言語体系が自分のベースだから、どこか「文章みたいなラップ」を書きたいという欲望が、僕の中にはすごくあるんです。それがホントに僕なりの「リアルな」言語体系なんだから、仕方ないというか。

いとう 例えば読んだ本とか誰かと話したこととか、ネットの中で出会った文章とか、そういうものが雑多に入ってくるから、ラップはその人が何を吸収したかってことがもろだしになっちゃうわけじゃん。

宇多丸 だから、結局は自分自身のリアルを追求するしかない、ということなんですけど。この本を読んでそれが改めて納得できた気もします。仮にそれがストリート的なヘッズの感覚からは乖離していたとしても、自分なりの言語空間というのは誰にも必ずあるはずだ、ということなんだから。

いとう だから俺がいまダブポエトリーをやるバンドにいて、あえて詩をラップ的には乗せずに、しかし大きなリズムを感じて朗読してるけど、それは自分が今のJラップの中にいなくていいなっていう気持ちがあるんだよね。突き詰めたら、ジャンルごと変わった。

宇多丸 うん。わかります。

いとう すげー楽だよ。むしろ俺たち「なりけり」って言っちゃった方がいいぐらいの感じじゃん。宇多丸も俺も平安時代の人みたいに思われてると思うよ、若い子たちには(笑)。

宇多丸 どっちにしろ昔の人って思われてるんだから、ここまで行ったってバレねえよみたいな(笑)。

いとう そうだよ。俺が謡とかに行ってるのは、そこで学んだことの方が自分の音楽に生きるからでさ。それが俺にとっての現在なんだよ、今そのものなの。

新潮社 波
2023年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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