仕組むなら巧く仕掛けてほしいケアとアナキズム

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仕組むなら巧く仕掛けてほしいケアとアナキズム

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『文學界』4月号

『文學界』4月号の特集は「アナキズム・ナウ」。また物騒なものを。まあ、文芸誌って「革命」とか好きだしね……と読み進めていくと、どうも様子が違う。

 国家転覆を狙いテロ工作を企む。そんな過激政治思想をつい思い描いてしまうが、「ナウ」なアナキズムにそういうヤバさはない。むしろこぢんまりとした生活者の倫理を追求するのが昨今のアナキズムのようだ。栗原康・松村圭一郎・森元斎による基調鼎談「アナキズム会議」で栗原はこう言う。

「コロナ禍のいまを生きるのにアナキズムでなにか言えるとしたら『相互扶助』でしょう」

 コロナ禍で国家の無能が明らかになった。自分たちのことは自分たちで守らなければならない。そこで行政に頼らずに生きる「相互扶助」の精神が浮上してきたというわけだ。

「日本の政治状況が、逆説的にアナキズム的な言論の場を作り出してきたということはありますよね」(松村)

 この指向は、昨今、文芸界隈でかまびすしい「ケア」と親和性が高い。英文学者・小川公代が昨年発表した『ケアの倫理とエンパワメント』を機にブームとなっているフェミニズムの思想で、従来、女性に押し付けられる無償労働と貶められてきた、家事・育児・介護などの「ケア労働」を肯定的に捉え返したものだ。

 ポイントは、自立する女性の「自助」から、依存し共感する女性の「共助」へと価値観を転換した点で、ここでアナキズムの「相互扶助」と接する。実際この特集には、小川が「女たちのアナキズム」なる一文を寄稿しているし、田中ひかるによる「アナーキズムとフェミニズムとの関係について」という文章も見える。

 正直ケアについては“仕組まれた流行”の印象が拭えず、アナキズムも、そっちこっちでやり過ぎたせいではや飽きのきたケアに代わるネタのように見えてしまう。人為的ブームを一概には否定しないが、もう少し巧く仕掛けてほしいところだ。

 この号には、石原慎太郎の追悼文も載っている。石原がかつて「価値紊乱者」すなわちアナキストと呼ばれたことを思い出せば、新旧のコントラストが悪い冗談のようである。

新潮社 週刊新潮
2022年4月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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