小泉今日子×本木雅弘・対談 私たちのあの頃

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

黄色いマンション 黒い猫

『黄色いマンション 黒い猫』

著者
小泉 今日子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784101034218
発売日
2021/11/27
価格
649円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

小泉今日子×本木雅弘・対談 私たちのあの頃

[文] 新潮社

アイドルとして駆け抜けた日々

本木 アイドルとしての活動も、既存の枠にとらわれず、常に表現が新しくて。裸体に絵の具を塗って「人拓!」とかさ(笑)。当時、私も小泉さんのライブを観に行っていたけれど、キュートで奇抜で、その破壊力にいつも驚かされてました。ミュージシャンやアーティストに、素材として自由に遊ばれる面白さも感じたし、まな板の鯉状態で平気で自分の身を晒す小泉さんの姿が実に爽快だった。

小泉 私自身も楽しんでたからね。たとえば、近田春夫さんにアルバムのプロデュースをお願いした時は、ハウスミュージックでいい? と言われて、はい! みたいな(笑)。ちょうどその頃、私も初めてハウスを聴いて、かっこいいじゃん! と思っていたから。

本木 アイドルがハウスなんて、当時は画期的でしたよ。そうして誰かに任せられる器の大きさが、小泉さんのかっこいいところ。

小泉 私がそんな風にできたのは、やっぱりとにかく無我夢中にがんばっていたデビュー後の数年があったからこそだと思う。あの時、ずいぶん鍛えられたから怖いものがなくなった(笑)。

まだ十代半ばだったのに、私たちは本当にいろいろな経験をしたよね。

本木 大人たちに囲まれて、そして仕事をこなす。実に目まぐるしい毎日でしたね。歌のレッスン、振り付け、歌番組の生出演やラジオの収録、イベント、コンサート、雑誌の撮影……。太陽をまともに見てる時間がどのくらいあっただろうという感じで。

小泉 私たちが初めて一緒に仕事をしたのは、テレビ東京の歌番組「ザ・ヤングベストテン」(一九八一~八二年)だったよね。シブがき隊と少年隊の前身のグループが司会で、私はアシスタントガールだった。原宿の街の中でロケをすることもあったし、スタジオでは、客席に座ってフリップを掲げながら「今週のプレゼントはこちらで~す!」なんて言わされてた(笑)。先輩アイドルたちの曲を唄うコーナーもあって、近藤真彦さんの「情熱☆熱風 せれなーで」に合わせてアラブのお姫様の衣装を着て踊ったのをすごくよく覚えてる。でもその番組に出ていた頃は、本木君とはまだ仲良く話すという感じではなかったような気がする。

本木 翌年の春、お互いにレコードデビューしてからは、歌番組やイベントの場所で必ずと言っていいほど顔を合わせてたから、自然とあれこれ話すようになって。

小泉 レコード発売時には営業的なイベントもあったし、週末になるとどこかのお祭りに出演してたよね。公民館でメイクしてると本木君たちが来て、あ、今日もシブがき隊と一緒なんだ、と思ってた(笑)。

本木 ある時なんて、海を越えて、イタリアのサンレモ音楽祭でも一緒でしたよ。実際に唄ったのは、小泉さんだけだったけれど。

小泉 私、サンレモで唄ったの? 覚えてない(笑)。あの頃は、何かというと写真集や雑誌の撮影隊が同行して、まずパリに行ってスイスに寄って、最後にやっと本来の目的地であるイタリアに着く、みたいなことがたくさんあったでしょう。だからどこへ何をしに行ったのか、覚えてないことが多いの。

本木 「明星」「平凡」、その他にもあの頃はアイドル誌がいくつもあって、取材旅行ということで何度も外国へホイホイと連れていってくれたなあ。

小泉 本や雑誌が売れる時代だったんだよね。編集者の方が、私たちの見聞を広めるために一役買ってくれていたような気がする。

本木 いい時代でしたよね。とにかくそうして慌ただしい一年を過ごして、年末が近づくと怒濤の賞レースが始まる。日本レコード大賞、日本歌謡大賞、日本有線大賞……覚え切れないほど多くの音楽賞がありました。大晦日なんて、帝国劇場で「レコ大」(「輝く!日本レコード大賞」)に出演して、その後十分以内に「NHK紅白歌合戦」が始まるから、猛ダッシュでNHKホールに向かってましたよ。あの頃の「紅白」は、オープニングで出演者全員が揃いのブレザーを着て大階段から降りてくるという伝統の演出があって、そこに間に合うことが絶対条件だった。生放送のはしごも含めて、大晦日の一大イベントでしたから。日比谷の帝国劇場から渋谷のNHKホールに向かう道は、警察を動員して信号を全部青にしてもらうという異常事態でした。

小泉 大晦日のスター大移動(笑)。

本木 今では考えられないけれど、そういう時代だったんですよね。そしてもうひとつ、小泉さんとアイドル時代を語る時に忘れてはならないのが、新宿音楽祭の生卵事件。

小泉 あははは! 私の頭に客席から飛んできた生卵が当たった事件ね。

本木 これは小泉さんを題材にした小説作品『オートリバース』(高崎卓馬著)にも書かれているけれど、松本伊代さんのファンが、賞を取った小泉さんへの嫉妬心で卵を投げつけたと言われていましたよね。けれど実は、小泉さんのファンが、その横に並んでいた私たちシブがき隊に対して、「何でオマエらが小泉の横にいるんだ!」という怒りで僕たちにぶつけようとしたのが、誤ってご本人様に当たってしまった、というのが真相だったんですよ。

小泉 ね! 私もそれを聞いて、なんで私が自分のファンに生卵を当てられなきゃならないんだよ、ふざけんな!って思った(笑)。

本木 あははは! 五円玉や十円玉が飛んでくることもありましたよね。

小泉 飛んできたライターが唇に当たって、あっ、イッタ~い、どんどん腫れてく……と思いながら唄い続けたこともあった。硬い物は投げないでよ、と思ってたもん(笑)。毎日がファンとの戦い、みたいな気分だったよね。

本木 ありがたいやら何やらで(笑)。

新潮社 波
2021年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク