『闘鬼 斎藤一』
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吉川永青『闘鬼 斎藤一』を八重洲ブックセンター 書店員内田俊明が読む
[レビュアー] 内田俊明(八重洲ブックセンター 書店員)
新たな切り口で語られる剣士の生涯
内面は激情、行動は苛烈、なのに清新な気配に満ちている――『闘鬼 斎藤一(さいとうはじめ)』を一読して、主人公である斎藤一の描写に対し、まず抱いた感想はこうだった。世間に知られるそのイメージを裏切るような描写はなく、そういう点で、数多い新選組ファン、斎藤一ファンの期待には充分に応える本作だと思うが、といって、決して斎藤がヒーローとして描かれているわけではない。あくまで冷徹、ときには酷薄すぎる姿も見せている。では、本作に満ちている清新な気配は、どこから漂ってくるものなのか。
歴史上の人物といえば、遠い存在をイメージするが、実は幕末ともなると、水道、電気、ガス、交通などのインフラがないことを除けば、人々の生活は現代人にかなり近いのではないかと思う。本作を読み進めてすぐに感じとれるのは、斎藤をはじめとする新選組の面々が、等身大の人間として親しみやすく描かれていることだ。だが、それだけが本作のまとう清新な気配の理由ではないだろう。
冒頭、斎藤が幼少時に、蜘蛛が自らの巣にかかった羽虫を仕留める様子を見る場面は、本作において重要な意味を持っている。どう重要かについては、実際に読み進めて知っていただきたいのだが、ひとつヒントめいたことを言えば、作中に出てくる“「闘」と「争」は違う”という観念がある。斎藤が常にそれをわきまえながら生き続けていったということが、本作では太い背骨として全編を貫いている。斎藤の人生において大きな謎である「なぜ生き残れたのか、生き残ったのか」を解くカギは、ここにあるのではないか。
吉川永青(よしかわながはる)の描く斎藤一は、苛烈で酷薄なキャラクターであっても、自らの観念に従って、道を踏み外すことも、後を振り返ることもなく、まっすぐに生きている。それが、本作に清新な気配を感じる、一番の理由だろう。
もちろん、時代小説ファンなら誰もが期待する、剣戟(けんげき)場面、格闘場面の迫真さも満点。自信をもっておすすめできる一冊だ。
内田俊明
うちだ・としあき● 八重洲ブックセンター 書店員