『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』
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「かくれ繊細さん」は意外にも人間関係をつくるのが得意。その理由は?
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
このところ、「繊細さん」(HSP、ハイリー・センシティブ・パーソン)ということばを耳にする機会が増えました。
繊細すぎて生きづらさを感じてしまうような人のことですが、「自分に当てはまりそうだけど、そこまで繊細じゃないかも」と感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そんな人は「かくれ繊細さん」かもしれないと指摘するのは、心理カウンセラーである『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』(時田ひさ子 著、フォレスト出版)の著者。
私は、「かくれ繊細さん」限定で、その生きづらさを克服するための研究をしています。自身も「かくれ繊細さん」です。
アメリカから日本にこの概念が入ってきたのが2003年。心理学者のエレイン・アーロン博士が、自身の特性を研究して発見した概念で、日本では2019年頃から「繊細さん」と認識され広がり始めました。
今では、SNSでも繊細さんのグループができて交流が行われていますし、繊細さん専門のカウンセリングや占い、整体をちらほら見かけるほどに広がってきました。(「はじめに」より)
「かくれ繊細さん」は、繊細で傷つきやすく、共感能力の高いHSPという特性と、好奇心旺盛で新しい情報や刺激を求めて飽きやすいHSS(High Sensation Seeking、ハイ・センセーション・シーキング、新規刺激追求性)という2つの特性を持ち合わせているという意味なのだとか。
つまりは一見明るくて、外交的な人が多いものの、内面はとても悩み深く、悩んでいることさえ悟られないようにしていることが稀ではないということ。
そこで本書は、「かくれ繊細さん」と呼ばれるHSS型HSPに特化して書かれているのだそうです。
きょうはそのなかから、コミュニケーションに焦点を当てた第5章「『かくれ繊細さん』と人間関係」に注目してみたいと思います。
かくれ繊細さんは実は人間関係をつくるのがうまい
かくれ繊細さんには感じのよい人が多く、「人を嫌な気持ちにさせない天才」だとすら著者はいいます。
わざとらしくもなく、嫌味でもなく、「いい感じでいよう」とがんばっているわけでもなく、自然にいい感じでいられる人だというのです。
たくさんのかくれ繊細さんたちにお会いしてきましたが、とても気持ちのよい接し方をする方たちです。
かくれ繊細さんは、表情だけでなく使う言葉、挨拶の仕方、謙遜の仕方、お礼の言い方、お辞儀の角度など、あらゆる面から「人の気分を害さないよう」に注意を払って人付き合いの経験を積み重ねてきたのだろうな……と唸ります。(167ページより)
それは、「人に嫌な思いをさせないように」という目的を大切にしているからなのでしょう。
ある意味では、自分が本来ほしいものを他人の顔色を見て手放し続けてきた人たち。手放してきた結果、誰にも嫌われないくらいの人づきあいのうまさを手に入れたということです。
かくれ繊細さんの人間関係構築力は、欲望を投げ打って手に入れた勲章のようなスキル。それがあるからこそ、人間関係をつくるのがうまいのだと著者は解説しています。(166ページより)
かくれ繊細さんは職場の人間関係に敏感
かくれ繊細さんは職場において、怒られている人がいると自分のことのように感じてしまったり、虐められている人がいるときになってしまうなど、人間関係に敏感なのだそうです。
「全体最適」というのは、企業や組織、システム全体が最適化された状態を示す言葉なのですが、どうもかくれ繊細さんは、自分の関わるユニット全体が丸くきれいに収まるためにどうしたらよいかわかるし、かつ、そこが円満に機能するための役割を担う動きをします。(206ページより)
怒られている人がいると自分のことのように感じるとか、上司や圧の強い人の機嫌を見て「できること」を探したりするのは、全体最適のために反応しているということ。
つまり「自分にできることはあるか?」「なにをすればこの場がうまくいくか?」と確認してしまう傾向にあるとしたら、それが「全体最適」を自然に意識してしまうかくれ繊細さんならではの着眼点であり、思考回路だというのです。
それは大人になってから身についたものとは限らず、育った環境なども少なからず影響しているようです。
友人には気持ちよく過ごしてほしい、家族には気を遣わせたくない、誰もが気を遣わずに過ごせるのが全体最適だと判断してきたからこそ、「全体最適を考えて自分のほしいものを引っ込める」習慣がついたということです。
普通は、「自分さえよければ」という部分最適的な考え方に陥りやすく、より高い視点から全体最適を考えるように促されるものなのです。
ですが、かくれ繊細さんは、基本ベースに全体最適が組み込まれているような気がしてなりません。
もちろん、利己的な部分も持ち合わせているため、自分というものを分裂してみなしがちですが、全体のことを考えるあなたも、自分の利益だけを考えるあなたも、どちらもあなたなのです。(210ページより)
余裕があって調子のよいとき、かくれ繊細さんは自分の関わるユニット(家庭、組織、グループ、日本、地球など)全体が丸くきれいに収まるためにはどうしたらよいかということに意識が向いてしまうものだといいます。
そういった、「円満に機能するための役割を担うにはどうすればよいだろうか?」という視点を常に持っているところが、普通と違う点だというのです。
また、人が怒られていたり、恥ずかしい思いをしていたりすると、いてもたってもいられなくなるのは「共感的羞恥」という、かくれ繊細さんには馴染みの深い感覚だそう。
全体最適を図ろうとする力が働くため、他人の問題を自分の問題だとしがちだという“人との境界線”の問題にも強く関係しているのではないかと著者は分析しています。
したがって、そういう人は「全体がうまく回るために自分はどんな役割をすればよいのか」をごく自然に受け止めてしまう自分のことを、改めて観察してみるべきなのかもしれません。(205ページより)
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「『かくれ繊細さん』かもしれない」という自覚があったとしても、それはなかなか人に伝えづらいことでもあるはず。しかし本書を読めば、それが人に言えないようなことではないということが理解できるはず。
「自分はかくれ繊細さんかもしれない」と感じた方は、手にとってみてはいかがでしょうか?
Source: フォレスト出版
Photo: 印南敦史