『羊たちの沈黙(上)』
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『羊たちの沈黙(下)』
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グレン・グールドが好きな刑事と犯罪者
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
【前回の文庫双六】極寒のシベリアから東京舞台“熱中症小説”――野崎歓
https://www.bookbang.jp/review/article/588010
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高村薫が創造した合田雄一郎は、刑事には似合わないほどの読書家である。
刑事という多忙な仕事の合間に時間を見つけては本を読む。
それも『レディ・ジョーカー』では世界文学の長編小説に挑んでいる。
トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』。それに難物のジョイス『ユリシーズ』まで読むのだから敬服する。
目下のところはマルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』に挑戦中。
さらに驚くのは合田刑事が、天才ピアニスト、グレン・グールドの著作集第一巻『バッハからブーレーズへ―フーガの技法』(ティム・ペイジ編、野水瑞穂訳、みすず書房)を読んでいること。そういえば合田刑事はヴァイオリンを弾く(まるでシャーロック・ホームズのように)。
犯罪を追う刑事がグレン・グールド好きとは異色。一方、犯罪者のほうにもグールド好きがいる。
トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』の、優れた精神科医にして九人もの人間を殺害した狂気の連続殺人犯ハンニバル・レクター。
この天才にして狂人は、逮捕され、刑務所に移送の途中、「グレン・グールドの弾くゴルトベルク変奏曲がほしいのだがね」と平然とリクエストする。
何人もの人間を快楽で殺した男が、グールドの弾くバッハが好きとは。そのアンバランスに驚かされる。
実は犯罪映画のなかではしばしば犯罪者はクラシック音楽が好き。例えば―。
犯罪映画の古典、フリッツ・ラング監督の「M」(31年)では、ピーター・ローレ演じる連続殺人犯がグリーグの「ペール・ギュント」中の一曲を口笛で吹く。
ヒッチコックの「サイコ」(60年)ではアンソニー・パーキンス演じる殺人者のレコードプレーヤーに、ベートーベンの「交響曲第三番〈英雄〉」がのっている。