<東北の本棚>集落再生への夢を託す
[レビュアー] 河北新報
秋田県の男鹿半島にある小さな漁村集落の加茂青砂は、この20年間で住民が200人余りから100人余りへと半減した。数字だけを見れば消滅の危機にさらされている集落と言えるかもしれない。21年前に新聞記者を辞めて50歳を目前にこの集落に移り住んだ筆者が、加茂青砂の自然の営みに添った日々の奥深さを描き、そこから日本社会のありようを問い掛けた。
男鹿の各集落に伝わり、大みそかに家々を巡る来訪神ナマハゲ。本書のプロローグは加茂青砂に今、ナマハゲの存在が「見当たらない」と明かす。男鹿半島に暮らしながらナマハゲをテレビでしか見られないとの描写が、集落が直面する現状の一端を浮かび上がらせる。
高齢化し人口が減り続ける加茂青砂がやがて「終活」せざるを得ないとすれば、いずれは男鹿も秋田も東北もなくなり日本には東京だけしかなくなるのでは-と推論。タイトルの重要キーワードである「最果て」には「誰も住まなくなるであろう集落」という意味を込めた。
筆者は河北新報社で24年間続けた記者生活に秋田勤務だった1998年にピリオドを打ち、次の人生の舞台に加茂青砂を選んだ。本書には加茂青砂で生きる一人一人と心を通わせる中で感じ取り、考えを巡らせて導き出したメッセージが、全編を通してちりばめられている。
エピローグまで6部構成で、第2部「オトウが死んだ。だけど伝えたい思いは生きている」は、20年間で出会った人々とのやりとりを秋田弁で再現。第3部「棄国の民」、第4部「新たな出会い」と展開する物語は、集落が消え去る覚悟を背負って生きる意味を考えさせる。
2001年に閉校になってから使われていない加茂青砂小のピアノを、筆者は象徴的に「最果てピアノ」と呼ぶ。最果てピアノは日本各地の集落に眠っており、新たな再生の物語を紡いでほしいと筆者はピアノに夢を託す。
プリントオンデマンドで発行。1296円。金風舎03(3353)5171。