『亥子ころころ』
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親子三代菓子舗が舞台の第二弾 “市井もの”時代小説の極み
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
こんなにおいしそうな装幀を見ると、思わず食欲が――いや、読書欲が湧いてきて、ページを繰るたび生唾が出て来て往生する。
ご存じ、第三十六回吉川英治文学新人賞を受賞した『まるまるの毬(いが)』に続く第二弾。大繁盛の菓子舗「南星屋(なんぼしや)」の人々は、相変わらず忙しい。主人である治兵衛(じへえ)、その娘で出戻りのお永(えい)、お永の娘お君(きみ)。彼らの日常を描く作者の筆は、冴えに冴えわたり、正に市井ものの極みといっていい。
ちょうど、お永と別れた亭主・修蔵(しゅうぞう)とのなかなか本当の和解に至らぬ関係を、菓子の名前と二重写しにした「関の戸」の章で、作者は、日常というものについて次のように記している。いわく「凪(な)いで見える暮らしにも、時々にさざ波は立つ。どんな家族でも、無地一色で済むはずはなく、さまざまな模様が刻まれる。決してきれいなばかりでなく、不格好(ぶかっこう)であったりひしゃげていたり、時には糸がこんぐらかって、機(はた)そのものが動きを止めてしまうこともある。それでも織り上がった一反は、この世にひとつしかない大切な一品となる」と。
この一巻の中の、最大のさざ波は、南星屋の前で行き倒れていた男、雲平(うんぺい)。彼は菓子職人であり、若い頃の治兵衛と同じく、全国の菓子舗をめぐって、修業した渡りの職人であった。
彼は京都にいたのだが、江戸の旗本日野家で雇われていた、修業時代の弟弟子・亥之吉(いのきち)が当家の御隠居の死の直後に出奔したことに胸を痛め、その真相をさぐろうと決意。途中で路銀を奪われるも、江戸に辿り着いたのだった。
大小のさざ波はそれだけではない――全篇の軸となるのは、この兄弟弟子の話だが、この他にも、前述のお永・修蔵の物語や、お君の縁談。さらには、南星屋の前で苦悩する謎の若君等々。
ラストで、すべての暗雲が晴れ、物語にもお菓子にも堪能し終えたとき、読者が晴れ晴れとした思いに浸された折の幸福感は比類がない。