『孤独な散歩者の夢想』
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“奇々怪々”心理の持ち主 フランスの思想家「ルソー」
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
【前回の文庫双六】スリリングな心理戦に魅了される麻雀小説――北上次郎
https://www.bookbang.jp/review/article/562711
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人の心理を読むことがいちばん面白くスリリング、という北上次郎さんの言葉に深くうなずく。同時に、どうにも読み切れない人の心の奇怪さが存在することもまた確かだろう。
そういう面妖なる心理を綴った最初の例はどのあたりに、と考えると思い浮かぶのがジャン=ジャック・ルソーである。『社会契約論』等の堂々の論考と比べ、『告白』に描き出されたルソーその人の心は実に奇々怪々。
道ゆく女性たちに自分のお尻をむきだしにして見せたり、善良な女中に無実の罪を着せて窮地に陥れたり。説明のつかない事態の数々に、読者は頭を抱える。
ここでは大冊『告白』ではなく、より親しみやすい最晩年の自伝『孤独な散歩者の夢想』を取り上げよう。
ルソーの人生上大きな謎の一つは、五人の子供すべてを孤児院に送り込んだことである。それなのに育児・教育論の大作『エミール』を書いているのだから天才の胸中は推し量りがたい。老境に達してなおルソーは、あれが最善の決断だった、後悔していないと強がる。
そんな彼がモンマルトルの丘の近くをぼんやり散策していたときのこと。だれかに膝をつかまれ、はっとして見れば、五、六歳の小さな男児が「じつに親しげなやさしい面持で」彼をじっと見上げているではないか。ルソーは大変感動する。そして「こんなふうに自分の子供にもしてもらえたのに」という痛切な思いが湧き上がってきた。
男児は近所の職人の息子だった。ルソーは小遣いを与えて立ち去る。その後何度か、またあの子に会いたいと願って同じ場所を通ってみたが、二度と再会できなかった。「喜びと悲哀との入り混じった」思い出が残るばかりである。
自分ほど子供を愛し、かわいがる人間は他にいないと、ここでもルソーは大見得を切っている。とはいえ、見ず知らずの男児にすっかり気持ちを掻き乱される彼の弱々しさのほうが、読者にとってははるかに共感を誘うのである。